曇り空の下、町中はいつもよりさらに静かに沈んでいる。私の頭の中の方位図では、北の方角は暗く、いつも風が吹いている。北海道生まれだから、北にも陽が差し、短いながら夏もあることは承知しているが、なぜか北はいつも寂しい。特に今日のような曇り日にその感を強くする。
そんな曇り空の中、久しぶりにばっぱさんをドライブに連れ出す。もう何日も前から、その意向を何度も漏らしていたからだ。美子を助手席に、そしていつもの美子の席(運転席のすぐ後ろ)にばっぱさんを乗せた。施設を出るころ、西の方がわずかに明るくなってきた。そうだ、今日は横川ダムに行こう。車はちょうど西日に向かって進む。北海道犬のララを連れて、ばっぱさん、子供たちを連れて何度か遊びに行ったころのことを思い出す。あれはいつだったか。ララが死んだのは一九九二年だから、もう二十年も前になるか。
道中ばっぱさん、しきりにしゃべっている。最近はさすがに体力がないのか、よほど耳を近付けないと何を言っているのか聞き取れない。もちろんこちらの耳も少し遠くなったせいもあるが。風呂上りだというので、車の暖房を入れた。さて、ダム湖に着いたが、人っ子ひとり見えず、まったくの静寂に包まれている。しばし湖面を見下ろしたあと、帰途につく。来たときより晴れ間が多くなり、澄み切った大気の中ですべての物象が鋭い輪郭を見せている。
このまままっすぐホームに送り届けるのは可哀相に思えて、我家の玄関先まで行くことにした。車を止めたところが、思いがけなく我家の前であることに気づいて、ばっぱさん喜ぶ。昼寝から覚めたばかりの愛を抱いて頴美が車まで来てくれる。ばっぱさんと曾孫が開いた車窓越しに握手。
おそらくばっぱさんにとって、午後のドライブも曾孫との握手も半ば夢の中のことだったのかも知れない。ホームに送り届けて、帰りがけ広間に座ったばっぱさんを振り返ってみたら、あらぬ方を一生懸命見ていて、こちらに気づかない。今晩はご飯食べて行くんだべ、と言っていたから、息子夫婦の食事の手配でもスタッフに頼もうと思っていたのかも知れない。
今日の午後の美しい夕景色やちっちゃな手を絡ませてきた曾孫の笑顔は、ばっぱさんの記憶の中にしばし留まり(それが何年か続くことを切に願う)、そしてその後、どこに行くのか。そんな美しい景色や、笑顔や、優しい言葉や、切ない気持ちなど、とどめおきたいすべての記憶は、いったいどこに?
吐息は空気、空に行く
涙は水、海に行く
忘れられた愛は、女よ
どこに行くのか教えておくれ。
G. A. ベッケル『内部の調べ』より