書くことに窮して

書くことが何もないときにも、こうやってキーボードに向かう。さてどうなるか。むかし、一人のスペイン人の先生が自慢して言った。私はね、タイプライターに向かうとね、次から次へと面白いように書くことができます。あの先生はどうしているだろう。今ごろは孫にでも……おっと彼は神父さんだったから、子供はいないか。確か帰化して日本名があったはず、そうだ、スペイン語名を直訳して泉さんになったと思う。
 それにしても、あのころ知り合った神父さんたちも私と同じように、いや五、六歳以上は若かったから、それぞれいい歳になっている。そしてちらほら帰天したとの風の便りも聞くようになった。(ちなみにこの帰天という言葉は、辞書にはないが、なかなかいい表現なので、辞書に入れてもらいたい。おっと、これどこかでもう言ったかもしれない)
 J大学の通称神父館も今じゃ爺さん神父で満杯だろう。むかしは次から次と若い神父や修道者が外国からやってきたが、いつのころからか外国でも僧職志願者が激減して、日本にまで回す余裕がなくなったらしい。と言って、それはおおむねドイツやスペインなどヨーロッパの国々のことで、最近では南米やフィリピン、インドなどいわゆる発展途上国出身者の割合が増えてきたとか。
 すべて憶測で話してきたが、いまカトリックにかぎらずキリスト教はどうなっているんだろう。私など心配しなくても、元気にやってますよ、と言われれば、それはそれで嬉しい。なんと言っても、十歳のころから六〇歳近くまで約半世紀も、キリスト教は私の生活の中心であったことは否定できないのだから。
 この世界と人間は神に作られたものである。なかでも人間は神の一人子がそのために十字架上の死をとげられたほどの格別の愛を注がれた、だからその愛に応えるためにもいい子じゃなければならない。善行をつめば天国に、悪行を重ねれば地獄が待っている。
 今年九十三歳で一人暮らしの叔父は、毎日車を運転してパークゴルフとダンスとカラオケの梯子をしている。その娘、つまり私の従妹の言い方を借りれば、「病気のように健康」な叔父だが、遊ぶだけではない、今も聖書研究会で勉強し、いろんなことに旺盛な知識欲をもっている。司馬遼太郎や……うーん、もう一人いたはずだが名前が出てこない(最近よく固有名詞が出てこない)、ともかくよく読んでいる。
 先日、その叔父から電話がかかってきた。底抜けに明るい声で。…ちゃん(ここに私の愛称が入る)、進化論についてどう思う? キリスト教では否定してるようだが、すこしおかしいと思わないかい?(この「かい」の発音は北海道弁である)いきなりの難問である。
 そーねー、否定はできないよね。キリスト教でもその点は修正してるんじゃない? たとえばテイヤール・ド・シャルダンという神父は、明らかに進化論を肯定というか主張してるよ……
 叔父からの難問提起はともかく、半世紀以上も付き合ったキリスト教を私の中でどう位置づけるかという最大問題はまだ手付かずのまま。オルテガの締め切りも大事だが、こちらの方もそろそろ始めないと間に合わないよ。でも間に合わないって、何に?

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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