テデスコってご存知?

今が大事であることは承知しているけれど、事の起こり、モノの始まりも大切にしたい、「男はつらいよ」の寅さんの口上にもあるではないか。

 「結構毛だらけ猫灰だらけ。見上げたもんだよ屋根屋のフンドシ。見下げて掘らせる井戸屋の後家さん。上がっちゃいけないお米の相場、下がっちゃ怖いよ柳のお化け。馬には乗ってみろ人には添ってみろってね。モノのたとえにもいうだろう。モノの始まりが一なら国の始まりは大和の国。泥棒の先祖が石川五衛門なら人殺しの第一号が熊坂長範。巨根(でかいの)の手本が道鏡なら覗きの元祖は出っ歯で知られた池田の亀さん出歯亀さん。兎を呼んでも花札にならないが、兄さん寄ってらっしゃいよ、くに八つぁんお座敷だよと来りゃァ花街のカブ。憎まれっ子世に憚る、日光結構東照宮、産で死んだが三島のお千、お千ばかりが女じゃないよ、四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水、粋な姐ちゃん立ち小便、驚き桃の木山椒の木、ブリキに狸に蓄音機、弱ったことには成田山、ほんに不動の金縛り、捨てる神ありゃ拾わぬ神、月にスッポン提灯じゃ釣がねえ、買った買ったさァ買った、カッタコト音がするのは若い夫婦のタンスの環だよ。」

 どうだい、映画の寅さんは途中でカメラがパンしてしまうから、全文を聞いたことがなかったでしょう。なんて自慢してるけど、なんのこたない、ヤフーの検索で「寅さん 口上」と打ち込み、次いで「香具師の口上」をクリックすればたちどころに出てくる。ただ映画では全部を出さないのは、中にかなりきわどい文句が混じっているからかも。
 いやふざけるのはここまで。言いたかったのは、Xさんとどういう経路で知り合ったか、それがまったく思い出せないのだ。実は今朝、そのXさんから電話があり、いま小高の浮舟文化会館にいるのだけど、これからお家に行ってもいいか、と言うので、もちろんどうぞ、と応えた。一年に数回、実家に帰省するたびに寄ってくださる。昨春だったかは、これから京都の短大(看護師養成の)に進学するというお嬢さんも一緒に来てくれた。そして今日は、玄関先で迎えたらご夫人もご一緒だった。嬉しいことだ。
 で、楽しいひと時を過ごしたあと、午後三時の電車で帰京する前に親戚回りをするので、と帰っていかれた。その後、こんなに親しくお付き合い願っているのに、どういうきっかけから知り合いになったか思い出そうとしたのだが分からないのだ。断片的に思い出したのは、亡くなられた小箕俊介さん(未来社の編集者)と飲み友だちだったことで最初の接触があったはずなのだが…この小箕さんはオルテガの『ドン・キホ-テをめぐる思索』と『ヴィルヘルム・ディルタイと生の理念』の出版のときお世話いただき、清水に住んでいたころ、拙宅にお寄りいただいたこともあった。ご自身も翻訳をされる方で、S・G・ペインの『ファランヘ党 スペイン・ファシズムの歴史』などの訳業がある。しかし残念なことに、それから数年後に病気で亡くなられた。
 話をX氏に戻すと、なんと彼はテデスコ(1895-1968)の熱心なファンであるばかりでなく、セファルディ(離散したユダヤ人のうち、スペイン・ポルトガルに定住した人たち、また十六世紀スペインから追放され離散してアラブ・アフリカ・アジアに住むユダヤ人を指すこともある)の音楽に関するホームページを持っておられるのだ。テデスコ自身イタリアのユダヤ系作曲家だが、反ユダヤ主義の煽りをくってアメリカに亡命。作品にギターと朗読者のための『プラテーロと私』(日本語版は岸田今日子と江守徹によって上演される)などもある。
 白状すれば、Xさんからいただいた2枚のテデスコ作品(『プレテーロとわたし』)もまだじっくり聞いていないし、彼のホームページも時々しか覗いていない。それで代わりにと言ったら変だが、テデスコやセファルディの音楽に興味のある方にぜひ彼のHPを訪ねてもらいたく、そのアドレスをここに書いておきます。

[息子が父の死後削除]

どうぞよろしく。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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