さて初めにおことわりしておきたいことは、昨夜の「トゥーラ叔母さん」の一部にとても大事な修正を加えたことである。そして今日のお話はそれに続く。つまり引っかかっていたのは、パリ遊学の若い周恩来が、だれもがその輝かしい業績を疑っても見ないフランス革命を、それほどまでに覚めた(冷めた)目で見ていたのだろうか、という疑問である。そしてその答が見つかるのではないか、という格好の本をアマゾンで見つけて、さっそく注文した。小倉 和夫 著『パリの周恩来―中国革命家の西欧体験』(中公叢書) である。
毎度のことだが、知らないことが多すぎて気が遠くなりそうだ。旧満州体験を手がかりに中国そのものについても知りたいと思い、古典から現代中国文学まで、基本的と思う文献をそろえてきたが、そのどれもまともに読まないままだ。もちろん中華人民共和国の成立事情についても正確な事実はほとんど知らない。たとえば毛沢東と周恩来、彼らの真の関係や文革に際しての彼ら二人の位置、などなど知らないことばかりである。毛沢東と周恩来を検索すると、矢吹晋という人の『毛沢東と周恩来』が見つかった。著者について調べると1938年生まれで東大経済学部卒、アジア経済研究所を経て横浜市立大学名誉教授と出ていた。もともとは講談社現代新書だったものをネットに全文開放しているらしい(新書がないので確かめようがないが)。自分ではこうやって毎日ネットに書いているが、難しいものをネットで読む習慣がないので(たぶん死ぬまで)A4版88ページ全部をプリントさせてもらった。さて読むのだろうか。
ときどき晴れ間が見えるようでまた曇り空に戻る一日だった。時間の過ぎるのがなんと早いこと。ほどよいタイミングで美子をトイレに連れて行く、薬を飲み飲ませる、食事をする、ばっぱさんを訪ねる前に夜の森公園で散歩する、などなど、決まりきった動作を繰り返すうち、いまさっき終えたばかりのことが、果たして今日やったことなのか、それとも昨日やったことなのか、判然と区別ができなくなってしまう。
ときおり、わけの分からない不安で目の前が暗くなることがある。美子はいつまでこの状態を保ってくれるだろうか、私自身が怪我や病に倒れたら、美子はどうなるのだろう。気にしだしたらきりが無い。まっ来るものは仕方が無い、無理をしないで、ゆっくり対応していくしかない。
こんなことぐだぐだ書いても詮無いことだ。一日は一日の労苦にて足れり?だったか、たしかこれは聖書の言葉だ。はてどこにあったろう?こういうとき、昔は聖書コンコルダンスとかを苦労して調べなければならなかったが、今ではヤフーで検索すればたちどころに出てくる。そして私のように、一日の終わりにため息をついて聖書の言葉に慰められる人が、またなんとたくさんいることだろう!ため息をつく人が自分以外にもいて、ほっとするかだって?
はんかくさい、そういうわけにはいかないべさ。ともあれ、その箇所を書いておく。
[明日のために心配するな。明日は、明日が自分で心配するであろう。一日の苦労は一日で足りる](マテオ、6-34)。
うーん、やっぱ聖書はかっこいいっすなー。