恩師の威徳を偲ぶなどと殊勝なことを言ったが、本当のことを言うと、忘恩もはなはだしい日々を送って今日に至っているのである。それでも奥様ご存命中は、時おりのご機嫌伺いをしたが、亡くなられた後は、もちろんお手紙や電話をすることは途絶えたのはとうぜんとしても、しかしまるで記憶からも消えたように、思い出すことも稀な日日が重なったのである。居間から廊下の書斎に入る(?)鴨居の上に研究室で撮られた先生の笑顔が見えるのだが、いつの間にか家具の一部としてしか意識されなくなっていたのではないか。先生からは、学恩ばかりか生活上のご恩まで、数え上げたらきりが無いほどのものを頂いたのにこの体たらくである。
個人的な思い出の数々、楽しかったことや今更悔んでも申し訳の立たないことなど、この際記録することにしたいが、その前に先生が社会的にどう評価されていたのか、あるいはいるのか、手っ取り早い方法としてウィキペディアの記述を見てみよう。
神吉 敬三(かんき けいぞう、1932年5月8日 – 1996年4月18日)は美術史家で、専攻はバロック期からパブロ・ピカソに至るスペイン美術史。山口県生まれ。1956年に上智大学経済学部を卒業。同年から1959年までスペイン政府給費留学生として国立マドリード大学に留学、1970年にスペインの文化勲章である「賢王アルフォンソ十世章」を受章。スペイン王立サン・フェルナンド美術アカデミー客員会員。上智大学外国語学部教授在任中に肺ガンで死去。没後名誉教授。弟子に佐々木孝、大高保二郎等がいる。スペイン絵画展覧会の大半の紹介解説文を書く等、スペイン美術研究の第一人者だった。早くから、スペインの哲学者オルテガの翻訳紹介も行っている。
単著
『巨匠たちのスペイン』( 毎日新聞社、1997年-遺著) 『プラドで見た夢 スペイン美術への誘い』( 小沢書店 1986年/中公文庫 2002年) 『バルセローナ』(文藝春秋、1992年)主な訳書
オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』( 角川文庫、初版1967年/ちくま学芸文庫、1995年) 『オルテガ著作集3.芸術論』(白水社、1970年) エウヘーニオ・ドールス 『バロック論』( 美術出版社 1970年) ドールス 『プラド美術館の三時間』 (美術出版社 1973年/ちくま学芸文庫、1997年) サンチェス・カントン 『ゴヤ論』( 美術出版社、1972年) ミゲル・デ・ウナムーノ 『生の悲劇的感情』(法政大学出版局、1975年、佐々木孝と共訳) ウナムーノ 『キリスト教の苦悶』)(佐々木孝と共訳、法政大学出版局、1970年) パブロ・ピカソ 『ピカソ手稿・素描集 ゴンゴラ詩集』 美術公論社、1989年 ピエール・ガッシエ編 『ゴヤ全素描』(2巻組)、(大高保二郎と共訳、岩波書店、1980年) ジョナサン・ブラウン編・解説 『スルバラン』(美術出版社、1976年) ディエス・デル・コラール 『過去と現在』 未來社、1969年)、 アントニオ・デ・モルガ 『フィリピン諸島誌』 (岩波書店、箭内健次と共訳、1966年)」。
誰がこれを書いたのか見当もつかないが、ごく間単にまとめるとしたら、以上の通りであろう(弟子の名に私の名が挙がっているのは汗顔の至りだが)。あえて補足すれば、先生の業績は大きく二つ挙げることができる。一つは、スペインという国ならびにその文化を広く、しかも的確な文明史的・比較文化的視点を踏まえてわが国に紹介したパイオニアとしての業績、もう一つはスペイン美術の初めての本格的紹介とその評価の確立である。
そのあたりのことを、今をときめくベストセラー作家佐伯泰英氏が見事に解説している文章をコピーしよう。
「大なり小なりスペイン美術や文学や歴史に関わった人間で、神吉山脈の厚き壁にぶつかったことのない人はないであろう。どこか未知の水脈を求めていくとそこには整然とした神吉の足跡が残されている。その山麓を超えないかぎり、新しい地平にはたどりつけない。
戦後の混乱も収まらない五十年代からのスペイン文化渉猟でなんともすさまじい峰々を踏破されたことか。」(「新美術新聞」、平成9年7月11日号)
佐伯氏はその一つの例として、氏自身がのちに深く関わっていく闘牛についての神吉先生の足跡を述べていく。今晩はこの辺で止めておく。