毀誉褒貶の歴史

20世紀前半に活躍したスペインの作家ペレス・デ゙・アヤラ(1880-1962)に『A. M. D. G.』という小説がある。A. M. D. G.とは、ラテン語で「神のより大いなる栄光のために」という意味の句の頭文字をとったものである。いわばイエズス会という修道会の公式のモットーである。しかしこの小説は、イエズス会称揚ではなく、その反対の内容を持つ。
 スペインというカトリックの国で、これがどういう反響を呼んだか、ちょっと想像がつかないかもしれない。スペインだけではなく、広くヨーロッパにおいて、イエズス会は特に教育界では、われわれ日本人には想像もつかないような隠然たる権威を誇ってきたからである。イエズス会士自体が超エリート集団であり、彼らが経営する学校は社会的につねに高いレベルを維持してきた。たとえば百科全書派のひとりで、理性と自由を掲げて反教会の急先鋒だったヴォルテールその人も、イエズス会経営の学校を卒業したほど(あるいはしなければならなかったほど)、ヨーロッパの知的分野で突出した存在だった。とうぜん風当たりも強くなり、一時期(十八世紀中葉から十九世紀初頭まで)、ほとんどの国から締め出しを食っただけでなく、教会自体からも解散を命じられたこともあったのである。
 とにかくイエズス会には常に敵対者が存在した。今でも jesuit と辞書を引けば、イエズス会士の次に策謀 [詭弁] 家という語義が残っている。思想史上有名なのは、かのパスカルが「田舎の友への手紙」(1656~57)でイエズス会を辛辣に批判したことであろう。
 ところでペレス・デ・アヤラの小説は、イエズス会の教育、とりわけ男子校の学校教育のあり方を痛烈に批判したもので、マラガのイエズス会経営のミラフローレス学院を卒業したオルテガが、わが意を得たりとばかりアヤラの小説を擁護する文章を書いている。今回改めて読み返したが、記憶に残っていた以上に激しい反イエズス会の論調である。たとえばこんなふうに。

「ところで、経済を立て直すためには、どんな人からの援助も必要とするスペインという大家族から、だれかを抹殺せよとか追い出せ、などという意見に私は組する者ではない。しかしながら、イエスス会経営の学校の撤廃は望ましのでは、と思う。それは純粋に学校経営と いう視点からの意見である。つまりイエズス会の神父さんたちの知的無能がその理由である。」(「A. M. D. G. の余白に」、1910年)

 アヤラの小説をいつ読んだのか分らないが、最後のあたりまで鉛筆で印がついているから、一通りは読んだのであろう。しかしアヤラ自身はそこまでは言っていないと思う。オルテガの知的無能云々の評語は、それだけイエズス会経営の学校がスペインの教育界に圧倒的な影響力を持ってきたことへの一種の異議申し立てではないか、と思われる。
 ただアヤラの小説に描かれたイエズス会経営の学校の問題点は、五年間のイエズス会士としての生活の中で、ときおり感じていた問題点と符号することは確かである。大学はいざ知らず、男子校の中学校や高校はいまどうなっているのだろう、とネットで訪ねてみた。たとえば広島学院では、かつて百名近くいた会員は、今は十名ほどらしく、とうぜんの変質はあるのだろうな、と推測することは出来る。もっともそれは、いわゆるミッション・スクールと呼ばれるすべての学校にも言えることではあるが。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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