花岡大学との出会いはどういう経路からだったか、今はもう思い出すことができない。しかし最初の場面ははっきり思い出すことができる。アマゾンでなにかの本を探しているとき、不意に青空に吸い込まれていくような、白い帽子で白いシャツ、黒いスカートの女の子の後姿が目に飛び込んできたのだ。花岡大学『復刻版 やわらかい手』の表紙絵であった。何の本か?
実は初め、花岡大学を「暮しの手帖」の花森安治と間違えた。あのおばちゃんみたいなおじちゃんが何を書いたのか、と。ところが花岡大学はお坊さんで童話作家だった。1909(明治42)年、吉野の寺に生まれ、いくつかの大学で教鞭をとりながら童話を執筆し、小川未明奨励賞や小学館文学賞を受賞したらしい。『花岡大学仏典童話全集』全八巻、『花岡大学童話文学全集』全六巻(共に宝蔵館刊)がある。
ところで『やわらかい手』には五つの童話が収録されていて、その最初の「鈴の話」を読んでびっくりした。これが童話? 確かに子供も理解できるやさしい文章で書かれている。しかし内容は実に残酷で悲しい話なのだ。ある冬の朝、継母にいじめ抜かれて入水した女の子の死体が流れてくるのを、彼女をひそかに好いていた同級生の男の子が偶然橋の上から発見するところで話が終わるのだ。
考えてみれば、お伽噺とか童話は意外と残酷なものが多い。「かちかち山」は狸の背中を燃やす話だし、「舌切り雀」は文字通り雀の舌をちょん切る話である。しかしいずれも「むかしむかし」の話であって、この「鈴の話」のように、いまそこにある世界の話ではない。しかも同級生の入水などという身近に起こるショッキングな話ではない。こんな話を子供に読ませていいものだろうか。
いや断然いいのである。むしろ読ませるべきであろう。子供たちが生きていかなければならない世界は、けっしてハリー・ポッターの魔法の国ではないし、テレビゲームのように容易にリセットできる世界でもない。現に時おりのニュースに、若い母親や父親に虐待されて死んでいく子供たちのことが報じられる。
友人の司馬遼太郎が巻末に「不滅について」という追悼文を寄せているが、そこに生前の花岡大学とのこんな会話が紹介されている。
「花岡さんはある時、<私の中にいる一人の少年だけが読者です。その読者のためにのみ書いているのです>といわれました。<そういう少年が、現実にいるでしょうか>と問いますと、<いると思って書いているのです>とおっしゃったのです」
入水した少女の苦しみ、そして凍てつくような冬の川に入ってその少女の遺体を岸まで抱き運ぶ少年の悲しみに共振し共鳴する少年や少女たちによって、人類の不滅の魂は受け継がれていくのである。その魂のリレーこそが真の文学の役割なのである。
ところで題名「鈴の話」とは、少年の父親が鈴作りで、少年はあの朝、「形はちいさいけれど、焼きあがりもめずらしく優雅であり、うすべに色に彩色」された鈴を少女にあげようとしていたことからきている。