老いては子に従え

日の翳った、そして人っ子ひとりいない夜ノ森公園を、美子の手を引いて歩いた。ともかく歩くことが大事。歩ければあとはなんとか解決できる。そのあとばっぱさんのところに寄る。一ヶ月前に北海道上士幌の従弟・御史さんが寄ってくれたときには、昼寝の後だったためか、だれが来たのか全く記憶していなかったようだが、このところ調子がいいのか、昨日再び寄ってくれた彼のことはしっかり覚えていた。このまま寒い冬を乗り切ってもらえればありがたい。しかし元気になったはなったで、またぞろ憎たらしさも元に戻っていた。
 いつもの通り、ばっぱさん広間でお茶を飲んでいたのだが、持って行った愛とのツーショットの写真を見るでもなく、なにかそわそわしている。どうも風呂の順番が自分に回ってきたのでは、と気もそぞろらしい。しかしスタッフの迎えもないし、まだ前の人が風呂から出ていないのだ。それで再三再四、順番が来るまでゆっくり待ちなさい、と言うのだが、それにはいっさい耳を貸そうともしない。
 まあ老人特有の思い込みなのだが、そのうちイライラの矛先がこちらに向かってきた。通りかかったスタッフの一人が、みかねて「千代さん、老いては子に従え、ですよ」となだめてくれるのだが、ついには「いいは、もう帰れは」などとのたもう。施設に入るまで五年ほどの同居生活で、毎日のように喧嘩していたことを思い出した。生来の性格の上に、長い一人暮らしの習性が積み重なって、共同生活が極度に難しいばっぱさんというわけだ。
 熱中症で入院した病院から退院するときも、同室のおばあさんたちから「老いては子に従えだど」とのありがたい餞別の言葉をもらったことがあったが、もちろんそんな忠告は何の役にも立たなかった。今もときどき、最後まで家で一緒に暮したやるべきだったかな、と思うことがあるが、現実的にはあれで限界だった。
 日が短くなった。四時を過ぎるころには、もう夜の気配が迫っている。ばっぱさんのことでいい加減まいっているのに、追い討ちをかけるように、美子が玄関先でスリッパから靴に履き替えることにえらく暇取ってしまった。聴いた言葉が脳に届くまで幾重にも曲がりくねった、時には途中で切断された回路を通らねばならないらしい。そういえば、夜ノ森公園の銀杏の木もすっかり葉を落としていた。与謝野晶子の句を思い出したのもつい最近のことなのに、なぜかはるか遠い昔のように思いなされる。思いなされる? そんな日本語あったかしらん。まっ元気が出てきたときに直せばいいか。

アバター画像

佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください