初雪

テレビの天気予報によると、北海道では零下20度のところもあったそうで、ダイヤモンド・ダストの映像が流されていた。十勝平野の真ん中に位置する帯広は、毎年旭川と寒さを競っており、そこ生まれた私としては内地のこれしきの寒さにたじろぐわけにはいかないが、しかし年々、寒さが応えるようになってきた。同じ福島県でも、会津や中通りは寒さも積雪も半端じゃなく、そこに住む老人たちの苦労が思いやられる。
 午後になって寒さはいくぶん和らいだようなので、昨日休んだ分、散歩をしなければと夜ノ森公園に行った。しかし案の定、こんな日に散歩する人も日向ぼっこをする人もいない。でも最近目に見えて弱ってきた足腰のためには休むわけにもいかず、美子の手を引いていつもの通り丘の上の広いロータリーを一巡し、ついで坂道を下って遠回りするかたちで、駐車場まで戻ってきた。もちろん、その後、ばっぱさんのところにも寄った。
 一昨日、美子が被っていたボリビア製の白い毛糸の帽子を見て、自分もほしいと言うので、昨日、実は百円ショップで茶色の毛糸の帽子を買ってやったのだが、今日は被っていない。あまり気に入らなかったのかと思ったが、たんに忘れていただけのようなので、部屋に取りに行ってやった。本当は黒をご所望だったのだが、あいにく茶色しかなく、ちょっと爺さんっぽく見える。本人は気にしていないようなので、まっいいか。
 実は今晩、書き出すまでは昨夜、というより今朝方、見た夢について書こうとしていたのだが、覚えていたはずのディテールが思い出せず、あきらめた。書くことに事欠いて夢まで語ろうとしているのかと思われてもなんだが、今朝方見たのは…いや思わせぶりな言い方はやめよう。たぶんそのうち同じもの、もしくは続きを見ると思うので(もちろんその保証はない)、そのとき書くことにしよう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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