さすが年の瀬だからだろうか、ふだんは行き交う車もわずかな我が町も、ここにきて俄然車が多くなった。駅通りとT字型にぶつかる旧国道がいわば町のメインストリートだが、ところどころ渋滞するようになってきた。しかし通りすがりに見るところ、たいていは片道一車線なのに、堂々と駐車して店に入ったりしての渋滞がほとんどである。
何年か前、道路交通法の改正があって町中での停車・駐車が厳しく取り締まられるようになったはずだが、少なくとも我が町ではそんな法改正などなんの痕跡も残っていないようだ。
そして走っている車のほとんどは、商用車ではなくマイカーで、運転者も圧倒的に主婦と老人が多い。それも助手席に小さな子供を乗せている主婦をかなり目にするが、彼女たちの運転は実にマイペースそのもの。おそらくバックミラーで後続車を確かめることなど知らないのではないか、と思わせるような運転の仕方をする。
ふだんは車の数は少ないのに、メインストリートの交差点で、一回の青の信号で渡れないことがしょっちゅうある。要するに右折なり左折をする際の咄嗟の判断ができずにとろいのである。
路肩にぴったり寄せるならまだしも、道の真ん中に車を止めて店に入っているのは老人が多い。いずれ私も枯葉マーク(そのうち新しいデザインに変るそうだが)をつける年頃になってきたので、すこし言いにくいが、車に乗る以上、マナーは守ってほしい……。でも感心なのは、そういうときイライラしてクラクションを鳴らす人がほとんどいないことである。
そうか、実は警官がもっと道路に出て、違反者を厳しく取り締まるべきだ、主婦や高齢者ドライバーの教育をもっと徹底させるべきだ、などと考えていたのだが、こちらがイライラしなければいいのか。
いや私自身はこれからも適切なスピードで車を転がすし、町中で駐車するようなことはしないけれど、他の人、とりわけ老人たちがとろいことに対して、もっと寛大にならなければならないのかも知れない。いま「とろい」という言葉を使ったが、もっと適切な言葉はないか、と講談社の『類語大辞典』を調べたら、これはという表現にぶつかった。そう「まごつく」「まごまごする」だ。自分にもそうした現象は頻繁になってきた。
今日も片道一車線の幹線道路沿いで、車を止めて用を足していた私くらいの年配の老人が、自分の車で渋滞しているのにのんびり店から出てきたのに、我慢がならずにクラクションを鳴らすと(ちょっとですよ)、何で鳴らされたか分からない風だった。彼はまごつきもしなかったのではあるが、咄嗟の状況判断ができないのも「まごつく」のうち、イライラするのは明日からやめようっと。
ついでに一口メモ。クラクションという言葉は、もともとは警笛装置の製造会社クラクソンからきた言葉らしい。「まごつく」の語源は知らないが、新潟県田上町の方言から出た言葉かも知れない。ともかく「まごつく」権利とは言えないまでも、「まごつく」必然性は認めてやらねばならないだろう。