死者の書

このところNHKのBSが「ベスト・オブ・ベスト」とかで、過去の名作を連日放送している。先日も「世界わが心の旅」で二つほどなかなかいい番組を見た。そのうちの一つは、1998年に放送された人形美術家・川本喜八郎の「チェコ 人形の魂を求めて」である。彼は若い時に見たチェコ映画「皇帝のうぐいす」(1948年)に感銘を受け、その監督イルジー・トルンカ(1912~1969年)の指導を受けるため1963年プラハに留学する。「皇帝のうぐいす」という作品は、うぐいすの美しい声に惹かれる中国の幼い皇帝の姿を詩情豊かに描いた作品で、今回もその一部が放送されたが、なるほどその小皇帝の顔が実にいい。
 あるとき川本はトルンカにいちばん聞きたかった質問をする。「人形とは何か?」 するとトルンカはこう答える。「人形は人間のミニチュアではない、人形には人形の世界がある」。あの小皇帝の顔を見るだけで、彼の言わんとしていたことが分かるような気がする。人形作家に生み出された瞬間、人形は独自の世界に生き始める。日本伝統の人形浄瑠璃をまともに見たことはないが、しかしあの妖しい魅力は、トルンカの言うことと符合しているのであろう。
 1968年のいわゆる「プラハの春」のとき、トルンカも民主化を求める知識人たちの「二千語宣言」に参加するが、同年8月21日、ソ連軍を中心とするワルシャワ条約機構軍が侵攻して、プラハの短い春が終わる。トルンカは失意のうちに死を迎えるのだが、彼が最後に構想していた作品のことを川本は知る。それはチェコ民族独特の旋律で作られたミサ曲(リバ作曲)の映画化だった。争いのない調和の世界に最後の夢を託したかったらしい。
 この旅で、川本も師の見果てぬ夢に触発されて、自分の最終目標を定める。つまり折口信夫の『死者の書』を人形たちに演じさせること。この番組が作られたのが1998年、果たして川本はその作品に取り掛かったのであろうか。なにせ川本喜八郎という人形作家のことを今回初めて知ったばかりなので、その後の彼の足跡は『三銃士』に関わっていること以外まったく知らない。ただ折口信夫の『死者の書』とは意外だった。むかし私も気になる作品として少し読み始めたことがあったが、辛気臭いのですぐ止めてしまった。今ならじっくり読めそうな気がする。

★昨夜これを書いた時点では知らなかったが、今朝ウィキペディアで調べてたいへん残念な事実が判明した。それによると、川本氏は今年八月二十三日、肺炎のため八十五歳で亡くなられたそうだ。気になっていた『死者の書』の方は、二〇〇五年に完成して、何と「シッチェス・カタロニア国際映画祭」でアニメーション部門特別賞を受賞とある。見事!天晴れ!宿願を果たされての大往生だったわけだ。番組の中で、恩師トルンカのように夢半ばで死なないようにしたいという決意をしっかり守ったのだ。羨ましいかぎり、私も見習わなくちゃ。で、私の宿願は?

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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