テレビで「世界遺産」の特集を放映している。通りすがりに見たら、今日はスリランカの仏教遺産についてらしい。お釈迦さまが悟りを開いたという菩提樹を守るカーストの話である。お参りに来る参拝客たちから花や喜捨を受け取り、代わりに彼らの願いを取り次ぐ仕事を二千年近く引き継いできたカーストの男たちが、得々と自分たちの存在意義を語っている。それを見ながら、宗教と伝統について考えさせられた。
果たしてお釈迦さまは未来永劫、こうしたいわば特権階級が他の多くの卑賤なカーストの上に、言って悪いがふんぞり返っていることを望んでいたのだろうか。カトリック教会にも「教会=神秘体」という考え方がある。つまり宗教組織の中の階層の意義、聖職者と信徒の上下関係、を是とする思想である。第二バチカン公会議以後、信徒の使徒職という考え方が出てきたが、ヒエラルキー(聖職者位階制度)そのものを否定するものではないだろう。つまりこれは、肉体がそれぞれ固有の働きを担う諸器官から構成されているように、組織が生きながらえるためにはヒエラルキーが必要不可欠であるという思想である。これはもっともな考え方であり、これを否定することはできないであろう。しかし……
世界遺産に見られるように、宗教と文明・文化そして習俗と芸術、などには切っても切れない関係があって、もし宗教というものが存在しなかったら、これら壮麗かつ繊細な美術や芸術もまた存在しなかったであろう。それは否定すべくもない。それはそうだが……
ふと安藤昌益のことが頭に浮かんだ。家に彼の全集やあらゆるデータを網羅したCDもありながら、そしてもしかすると母方の先祖が八戸で彼と繋がっていたのではないか、という謎がありながら、いまだに何ら探索の一歩を踏み出さないままの、あの昌益のことである。彼はあらゆる既成の宗教的権威、それは日本古来の神道や仏教などの宗教ばかりか、中国から伝わった学問的権威までも一刀両断に切って捨てたらしいが、そこにはどのような意図が、そしてどのような覚悟が秘められていたのか。
血が繋がっているかいないかはともかく、そろそろ本腰を入れて彼の思想に踏み入ることを始めなければならないのではないか。私と宗教、とりわけキリスト教との最終的な関係を確かめるためにも、彼を読み込むことが助けになるのではないか。
人類の歴史において宗教が果たしてきた役割はとてつもなく大きく深い。宗教がなかったら人類の発展もまた不可能であったに違いない。しかし同時に、宗教が持っている負の歴史もまた否定すべくもない。もちろんプラス・マイナス・ゼロではなく、プラスがまさっていることは事実である。然(さ)はさりながら…
ではお前は何を目指しているのか、と問われれば答に窮する。神なき神学? とんでもない。無宗教的ヒューマニズム? 正直、分からない。まさに深い霧の中に迷い込んだような気持ちである。ただ漠然と考えているのは、たとえばこの私がこの小さなブログを通じてやっているように、一人でも多くの人が、組織の中の一人としてではなく、あくまで自立した個として、生きることの意味を考え、そしてそれを表現し、共鳴すべきときは共鳴し、緩やかな連帯を作っていくこと、そしてそのためにも、インターネットは強力かつ有用な媒体になりうること…以前、日々「平和菌」をいたるところにばら撒くこと、などと言った覚えがあるが、いまのところ考え及ぶのはそこら辺までかな。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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