二つの難しい手紙を書き出すエネルギーがまだ出てこない。こういうものは一気に片付けた方がいいと分かっていながら、その最初の踏み出しのタイミングがずれてしまったようだ。
ただ叔父への手紙を書く際に役立つと思われる本が今日の便で届いた。加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(2009年、11刷、朝日出版社)である。新聞かテレビで取り上げられているのを読むか見たかした記憶があり、そのときちょっと食指が動いたが、読むまでもないとやり過ごしていた本である。しかし普通の、当たり前の、善良な日本人が、国を憂うのはいいが、またぞろ古い道徳や国家観への傾斜を強めていくのをどうやったら阻止できるか、と考えたとき、この加藤氏の著作がヒントを与えてくれるのではないか、と思えてきた。
さっそく読み始めたが、なかなかいい。この本の成り立ちは、2007年の年末から翌年の正月にかけての五日間、東大教授である著者が横須賀の栄光学園高校の生徒たちを対象にして行なった講義をもとにしている。だからか非常に分かりやすいし、説得力がある。
たとえば初めのところで、9.11以降のアメリカの戦争への傾斜と、1937年以降の日本のそれとの比較が面白い。つまり双方とも、最初は、これは特定国相手の戦争ではない、法を犯した邪悪な犯罪者を取り締まるのだというスタンスで始まっていることである。アメリカのケースはなんとなく理解しているが、日中戦争当初のことはまったく不勉強で、今回の指摘はまさに目から鱗(うろこ)であった。つまり1937年の盧溝橋で起こった軍事衝突はまたたくまに全面戦争へと拡大していくのだが、翌38年、近衛内閣が発した声明が「爾後、国民政府を対手とせず」であり、39年、中支那派遣軍司令部が言っていた言葉が「今次事変は戦争に非ずして報償なり。報償の為の軍事行動は国際慣例の認むる所」というものだった。要するに日中戦争は討匪戦、つまり匪賊に対する軍事行動であると強弁していたわけだ。
この調子で太平洋戦争終結までの歴史が、高校生相手に、すなわち時おりの彼らの質問やら意見などを挿入しながら、400ページ以上ぎっしり語られていくのだが、久し振りに刺激的な読書となりそうな予感がする。ともかく、日本の近・現代史に限らず、世界の歴史の勉強がなおざりにされている今の教育は早急に改められる必要がある。このあいだのボローニャの例もあるが、今に生きる伝統を粗末にしている国に未来はないだろう。こう言うと、すぐ旧道徳の復活や旧体制の復権を主張する短絡的な伝統墨守主義者の早とちりが怖いが、目指すところは正反対である。つまり盲目的な先祖返りではなく、過誤の歴史をきちんと清算したうえで、それでもなお光り輝く貴重な遺産を現代に生かす努力が求められているのである。
この本を読み続けながら、明日あたり届くはずの『国家の品格』の品格をしっかり見定めてみよう。しんどいけれど、一度はやってみる価値のある作業ではあるだろう。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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