昨晩、実際は今朝、不倒記録が六ヶ月を越えた。つまり昨年の七月末から一日も休まずモノディアロゴスを書いてきたことになる。ただ書けばいいというものでもないが、それでもこれは、今までなかったことだし、なにがしかの達成感はある。
だとすると、四巻目をそろそろ準備しなければならないわけだ。それで午後、一昨年九月、つまり美子が退院してからの分を文書ファイルにコピーすることを始めた。しきりにポルトガルの作家ペソアにこだわっていたころの記録である。そのころから、一回の分量が千字をはるかに越えるようになった。これまでも長いものはあったが、それでも3ページを越えることはなかったはずである。ところが今回は、最初から4ページ、あるいはそれ以上のものが軒なみ続いている。そしてテーマが三、四日連続しているものが増えてきた。
どうしてこうなるのか、自分でも良くは分からない。しかし選挙での一票の格差が4.98倍以内だと憲法違反にはならないという判決が出たようだから、四倍はまだ許容範囲か。
午後、昨日アマゾンから届いた河林満の『渇水』を読み始めた。1950年生まれのいわき出身の作家だが、どうして彼の名前にぶつかったのか、そこのところの記憶が消えている。それはともかく、『渇水』には同名の小説のほか三編が収められているが、その「渇水」で文學界新人賞を受賞し、芥川賞候補にもなったそうだ。しかしところどころ文章に問題があり、けっしてうまい小説ではない。2008年に亡くなったらしく、実は読む気になった理由も彼の道半ばの死に引かれてである。
文筆業に転じるまで、立川市職員をしていたことが「渇水」にも反映しているようだ。水道料金滞納の或る一家と市職員である主人公の交流を描いた作品の中に、実際に職員でなければ書けないような叙述がところどころ見られ、その点は評価できるが…といってまだ三分の二あたりまでしか読んでいないので、最終的な評価は控えよう。
少しずつ寒さが和らいできたのであろうか。夜ノ森公園を歩いているときに吹いていた風は心なしか春の気配が感じられた。春の到来とともに美子も調子を戻してくれるだろうか。歩き終わって車に戻り、ドアを開けて車に上るよう促しても、どうすれば車に乗れるのか、その手順を忘れたらしく、最後には靴を脱ぎそうになる。家に帰っても、靴を脱いで上がりかまちに乗るまで、ときに何十回と声をかけて手で誘導しなければならない。それは今に始まってことではないが、そんなとき、どっと徒労感が襲ってきて目の前が暗くなる。
寒さのせいだろうか、ここ数日、朝方トイレに連れて行ったときには既に小の方をやってる。ただ大の方の粗相が無いのが救いである。ただこれもいつまで持つか。そう考えると前方に靄が立ち込めてくる。しかしそんな取り越し苦労は止めよう。一歩一歩、あわてず動揺せず、ゆっくりゆっくり歩いていこう。
だからモノディアロゴスを書くことで、辛うじてバランスを保っている。朝、寝床から起き出すとき、前夜書いたモノディアロゴスが少しは出来がいいと、それを読み直すことが励みになる。もしだれかが、このモノディアロゴスから何らかの元気を得られるとしても、それは書いた私以上ではないはずだ。
【息子追記】阿部修義様と立野正裕先生から他所でいただいたコメントを転載する(2021年3月20日記)。
阿部修義様
八年ぐらい前に私がコメントを書いてご返事に「今日は午後から美子の介護のために足腰の運動で夜ノ森公園を散歩してきました。」とあったのを思い出しました。
先生の継続力は筋金入りです。人生において、何事も継続することの大切さを教えていただいたように思います。
立野 正裕先生
「朝、寝床から起き出すとき、前夜書いたモノディアロゴスが少しは出来がいいと、それを読み直すことが励みになる。もしだれかが、このモノディアロゴスから何らかの元気を得られるとしても、それは書いた私以上ではないはずだ。」
徐々に共感が実感に変わりつつある昨今です。