橋のない川

アマゾンから住井すゑ『橋のない川』(新潮文庫)の欠けていた(六)と(七)が届いたので、さっそく三巻の合本にした。先日とうとう思い切って解体した革のジャンパーの襟の部分を切り取って背中に、厚手の端切れを表紙に貼った豪華本が出来上がり。といってまだそのうちの一冊も読んでいない。先日、本棚の隅に並んでいる五冊の文庫版を見て、六部まで完成していたはずと、ネットで調べると、確かに一九七〇年に第六部が完成し、しかもそれから二十二年後に第七部が書き継がれたとあった。著者自身はさらに八部、九部と書いていくつもりであったらしいが、残念ながら一九九七年、九十五歳、壮途半ばで斃れたようだ。 家にあったその五巻の『橋のない川』を私は読んでいなかったが、もしかすると買ったのも読んだのも美子だった可能性が強い。前から部落問題に関心があり、その関係の本が他にも数冊あるからだ。ともあれ吉野せいといい、この住井すゑといい、日本には偉いばあさんがいたものだ。新潮文庫の二冊の他に、娘の増田れい子が聞き手の『わが生涯』(岩波書店、一九九五年)も例の安値で手にはいった。そのうちこの全七巻の大長編に挑戦してみようと思うが、まともに読んでいったら読み切れないので、住井のおばあさんには悪いが速読の練習として飛ばし読みでもしてみようか。
 ところで美子の認知症はやはり少しずつ進行しているらしい。最近、例えば外から帰ったときに靴からスリッパに履き替えるのが難しくなってきたし、車に乗る際も左足を上げて車内に入ることがほとんどできなくなってきた。先日も、ばっぱさんを訪問したあと、駐車していた車に乗せるとき、どうしても出来なくなり、最後は先ず頭から入れて下半身を担ぎ入れなければならなかった。ふうふう言いながらやっとドアを閉め終わって、ふと視線を感じて後ろを振り向いたら、犬の散歩をしていたらしい近所のおばあさんが、びっくりしたような目でこちらを凝視していた。てっきり誘拐犯と思ったに違いない。そのうち上手な乗せ方を編みださなければなるまい。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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橋のない川 への1件のコメント

  1. 岡村 一 のコメント:

    地震の影響はいかがでしょうか。
    とくに御地の老人ホームが倒壊とかで、
    たいへん心配いたしております。
    先生、ご家族の皆様のご無事をお祈り申しております。

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