たぶん世の中には敢然と戦わなければならない敵というものがあるに違いない。敵は必ずしも人間とは限らない。たとえばそれは不正であったり、貧困など社会悪であったりする。でも病はどうだろう。医学の進歩によって、予防処置を講じたり、病原菌そのものの撲滅などによって、かつてよりかは被害が少なくなってきてはいる。しかし新型インフルエンザがそうであるように、敵自身が進化し、それとの戦いが終結することは、おそらく、ない。つまり不老不死の夢が見果てぬ夢であるように、病や死に完全に打ち勝つことなど不可能であろう。
たとえば個人的なことを言えば(といって私の書くものはすべて個人的なものにすぎないが)、妻は認知症であろう。なぜ「であろう」などと曖昧な言い方をしたかというと、実は医者から正式にそう診断されたわけではないからだ。数年前、これは認知症に違いない、といくつかの症候から判断せざるをえなくなったとき、専門医に診察してもらおうとは一度も思わなかった。少なくとも現段階では、効き目のある薬も、外科手術も無い、と分かっていたから、わざわざ「お墨付き」をもらうまでもない、と思ったからである。たぶん世の多くの人と、この点は違うのかも知れない。
たぶん世の多くの人は、このような場合、先ず専門医に診察してもらい、さらにそれを確かめるため、評判や口コミを頼りに大学病院など大きな病院を巡り歩くかも知れない。その間味わわなければならない不安、焦燥感は半端じゃなく、精神的な疲労が重なる。
いまではその当時の記憶はすでに薄れかけているが、簡単に言えば、観念したのである。じたばたしても始まらない、しょうがない、この事態を受け入れるしかない、と思ったのである。私の下した判断が絶対正しいとは、今でも思っていない。しかし私にとっては、この決断はごくごく自然な、とうぜんの結論であった。そして以後気をつけたことは、妻なり私なりどちらかが怪我や病気をしないことであった。妻が入院などすれば、急速に症状が進むからであり、私が病気などすれば妻の介護ができなくなるからである。
要するに、私にはいつの間にか「当たって砕ける」より「砕けて当たる」生き方が染み付いてしまったのだ。「砕けて当たる」という表現は、もしかすると敬愛する作家・島尾敏雄の言い方を真似たのかも知れない。つまりどうやっても敵わない相手に対しては、当たって砕けるより、まず腰を低くし、相手の繰り出す強烈なパンチを柔らかく受け止めた方がダメージが少ないと思っているからかも知れない。俗な言い方をすれば、「負けるが勝ち」である。
まだ働き盛りに結核で死んだ一人の叔父がいる。彼は生前、高校野球の実況などで、解説者が東北からの出場校を評し、東北人は粘り強いなどという決まり文句を発するや否や猛烈に怒り出した。そして自分の出生の地相馬を指して日本の癌だとまで言い切った。でも私はいつもそれを愛情の裏返しだと思っていた。
「北の国から」で、大滝秀治演ずる北村清吉が、入植した麓郷の百姓たちが大不作を前にしても「へらへら笑っていた」と言ったシーンがなぜか記憶に深く残っている。あまりの惨めさに「笑うしかない」のだ。でも絶望しているわけではない。へらへら笑いながら、負けない、たじろがない。つぎの一手をなんとか考えている。
今回の原発事故が天災でも病気でもなく、愚かな人間による人災であるということでは、腹立たしさが増幅するが、しかし当方にはどうしようないと言う一点では天災に似ていなくもない。事ここに至っては、前から主張してきたように、恥も外聞も面通もない、世界の叡智を集めて可能な限りの方策をつぎ込んでもらいたいし、こうまで世界の注目を集めているのであるから、いかにトントな面々でも、そうぜざるを得まい。さてしかし、当面私のすべきことは、事故現場での作業の経過に一喜一憂することではなく、客観的な数値を確認しながら、必ず事態は修復に向かっていることをあたかも信じているかのごとく、それでなくとも残り少なくなってきた己れの畑(余生)を黙々と耕すことでしかあるまい。因みに、今夜八時現在の例の数値は、0.68マイクロシーベルト/時、最低値更新中。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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ありがとうございます。
朝日新聞で知ってから読ませていただいております。
お母様の事、そして昨日の「砕けて当たれ!」を読み、何とかコメントしたいと思っていました。
いつも共感と励ましを頂いている者がここにも居るということを!!