あゝ「想定外」!

4月10日(日)晴れ

 久し振りにいい天気。昼ごはんのあと、美子を連れて散歩に出る。途中、何日か前から郵便物が原町郵便局留めで来ていると聞いた(隣町の支店長から)ので、念のため電話を入れるとSさんからハガキが来ているという。行ってみると、道路側の夜間窓口ではなく、中庭に入ってふだんは小包などの積み入れ積み出しに使っていたプレハブが仮事務所になっていた。細長い部屋に細長い机が置かれ、局員が四、五人で応対している。住所と名前を告げハガキが来ているはずだ、と言うと、紙片が差し出され、そこに住所と名前を書けと言う。書いて渡すと局員は奥の部屋に入り、しばらく経ってからハガキをもって現れた。なにか身分を証明するものを出せ、と言う。
 戦場で故国からの郵便物を渡すとき、いちいち兵士の身分証明を求める? いやいや例としてはちょっと大げさか。私が言いたいのは、たとえば現金書留あるいは親展扱いの封書などなら、とうぜん引き取り人は自分の身分を証明するものを提示しなければならない。しかし一ヶ月あまり、郵便局としての機能を一方的に放棄したあとの再開である。もう少し人間的な対応の仕方があるのでは? 細かいことを言うようだが、ハガキならハガキに印刷あるいは添付されている50円切手は、本来ならあて先の家までの配達料込みの値段ではないの? 利用者にさんざん不便をかけ続けたあとの業務再開である。まずは利用客へのお詫びの言葉から始めるのが真っ当なやり方とちゃう?
 それに対し、たぶんその局員はこう答えるであろう。万が一間違って他の人に渡して抗議されたら困る、と。そう来るだろうな、いつもそう答えるよな。要するに間違ったこと自体ではなく、自分に責任が問われることが死ぬほど怖いのである。ようがす(とは言わないか?)あっしが全責任をとりますので、ここんところはどうぞおまかせを…という局員なり、店員なり、駅員なり、社員なり…は現代日本には絶対に存在しないのである。あゝ安全で間違いない日本….
 規格どおりの商品を産み出すことにかけては世界に冠たる日本。ちょっと小さすぎる例かも知れないが、たとえば日本のタバコは、暗闇でも手探りでセロハンの開け口のぽっち(あれ何て言うのかな?)を見つけ、造作なくタバコを取り出すことができる。しかしたとえば、ですぞ、スペインではそれが実に難しい。つまり箱ごとに微妙にぽっちの位置が違っていて、暗闇でタバコを抜き出すのは至難の業となる。
 ことほど左様に、たばこだけじゃなく、社会のあらゆる仕掛けがていねいかつ安全に作られている。そして人間も….ありがたいことに治安もたぶん世界一いいのではないか。いや、そのことにいちゃもんをつけているのではない。日本はあまりにも快適かつ安全に出来上がっているので、想定外のことになす術(すべ)を知らないと言いたいのである。
 たとえば今日の局員。成熟したまともな人間ならとうぜん備えているべき咄嗟の判断、臨機応変の対応ができないのである。ファーストフードの可愛い(とはかぎらないけれど)女の子が、マニュアル通りの応対をするならまだしも、妻も大きな子どももいる立派な大人が、非常時での適正かつ迅速な判断やら対応ができないのである。
 話を急に大きな問題に広げたとおっしゃるのか? いやいや、初めから局員の応対なんぞに問題を感じたのではありません。今回の大震災、というよりはっきり言って原発事故に関わるすべての事象(この言葉もよく使われましたな)で、あまりにも「想定外」という言葉が飛び交っていることが気になってました。そしてその根っこには何があるのか、つらつら考えていたのですが、今日ようやくその答えが見つかったのであります。つまり日本の社会があまりにも規格どおりに、マニュアルどおりに、安全に、確実に、作られていること、いやそれが悪いのではなく、それにあまりにも慣れすぎているという事実こそが問題ではないか、と思い至ったのであります。
 事故後すぐの、自衛隊のヘリコプターによる放水作業の折もそうだった。隊の内規に定められた放射線数値を超えたから作業を打ち切ったと聞いて唖然としたのだが、もしかすると事故後の初動対応にも、内規で想定されたものとは違った事態に直面して、そのときとうぜんしなければならない行動に踏み切れなかったということはなかったのだろうか。組織内の統一ははかられていたとしても、それとは別の組織との共同作業など想定外のことゆえ、もっとも大事な相互信頼がないまま、ばらばらな対応をせざるを得なかったことはなかったか。日本式経営システム(たとえば稟議書)が想定外の事態ではまったく無力だったのでは。部下あるいは現場が上司にお伺いを立てなければ動けないような、平常時ならうまく機能するシステムがかえって仇になったのではないか。
 いやいやそんな大問題まで話を進めるつもりはなかった。ただ我が愛する日本が、日本人が、平常時だけでなく非常時にも、いやそのときにこそなお沈着冷静に、しかも人間らしく行動できる社会そして人間であってほしいと願うだけである。授業料としてはそれこそ想定外の高額とはなったが、この大震災の経験を生かさない法はない。
 今日もテレビからは、へたくそなバンドが「福島は好き、オー、ウオンチュウ・ベイビー」などとアホらしい曲を繰り返し流している。こちとらはベイビーなんかじゃないっちゅーの、ベイビー!

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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あゝ「想定外」! への1件のコメント

  1. 加奈子 のコメント:

     目覚めると朝一番、新聞と佐々木さんの『モノディアロゴス』を読むのが日課になりました。そして寝る前にもう一度。

     我が家の通り一本向こうの葬祭場が、ご遺体の安置所になっています。土日の為でしょうか、昨日今日と駐車場が満杯でした。同じ町に住みながら、海からの距離でこんなに違う『今日』を生きていると思うと…とても言葉が見つかりません…。
     地震から一ヶ月、明日は小学校・明後日は中学校の始業式と入学式です。いつもは離任式や予備登校日にクラス発表がありますが、今年度は転校してくるお子さんをギリギリまで待って、当日になっての発表になります。こんな時こそ、その学校のことをよくご存知の先生に子どもたちを見ていただきたいと思うのですが、例年と変わらず、当たり前のように先生の移動はあり。親同士、今まで以上に協力し合っていかなければ…と話し合っています。

     思いつくままに書いてしまいましたが、南相馬、いまだに郵便配達してくれないんですか…瓦礫をぬってさえ人の痕跡を探し探し配達してくれているところもあるのに。内部被爆量の試算とやらで、半径30kmの同心円とはまるで異なった図が新聞にも載っているというのに。なんだかなぁ…

     そんなこんなでも、原町の両親は今日も元気でした。
     佐々木さんと奥様もどうぞお体大切に…。
     

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