もう一つの液状化現象

千葉県など関東各県で今度の大震災の結果、かなり深刻な液状化現象が起こっているそうだ。そのニュースをテレビで見たとき、思わずもう一つ別の液状化現象のことを考えてしまった。つまり今度の大震災の結果、はしなくも現われ出た魂の液状化現象のことである。実例からお話した方がいいかも知れない。
 今日の昼前、原町郵便局に四個の荷物を受け取りに行った。愛知県に住むAさんが先月の22日に(!)、なぜか「ゆうパック」では受け付けてもらえずに「定形外郵便物」として送った私宛の支援物資である。実はその後、私のところにまだ届いていないことを知ったAさん、ここ十日ばかり毎日のように差し出し局に連絡して荷物の所在を確認しようとしたが埒が明かなかった、というかはっきりした返事をもらえなかったそうである。しかし昨日だったか、ついに最終的に行き着いていた郡山局の局員から連絡が入ったそうだが、そこでも最初のうちは荷物がどこにあるか分からないから受取人(つまり私)が郡山まで来て荷物の山から探し出しては、とまで言われたそうだ。
 その間、彼女が耐えなければならなかった精神的苦痛を思って腹が立ったが、本音を言えばまたもや局で瞬間湯沸し器が沸騰するのは嫌だな、と怖れてもいたのである。ともかく最低のところ、荷物を車のトランクまで運ばせよう、それでとやかく言われたなら仕方ない、自然沸騰にまかせるしかないか、と。ところがである、いたんですなーまともな局員が。受け取りに来たたくさんの客の中から手を上げた私を見つけた若い男は、荷物が多いので、外にあるカートでお客様の車まで運びます、と言うのだ。そして運びながら、心からの詫びの言葉を口にした。こうなると瞬間湯沸かし器は一気に温度を下げ、いや下げるばかりか思わず励ましの言葉が口をついて出たんですなー、「たいへんだけど、頑張ってねー」と。すると彼、「はい、ありがとうございます。頑張ります!」と真剣な面持ちで答える。いやー嬉しかったす。
 つまり今回の大震災で、見てくれだけの土地が液状化したように、社会のあらゆるところに存在した外面だけの、体裁だけは立派だが、実は非常時にあっては、組織やお上の指図がなければ何もできない無能で無責任な、ただの木偶(でく)が露出したかと思えば、ふだんは目立たなかったが、実は職務に忠実で、しかも人間的に幅のある有能な人間の所在をも明らかにしたというわけ。
 ともかく今回の大震災によって、私たちの住む社会が実にやわな土台、すぐに液状化してしまう人的構成によって成り立っていたことが判明したのである。たとえば物を運び届けるのが命の人たちが本来の責任を果たさず、病人や高齢者を守るべき医師やスタッフがその責任をいともたやすく投げ出し……そうした液状化現象を地図上に描いたとしたら、土地の液状化などよりはるかに深刻な、広範囲でしかも深度のある液状化現象の真実が一目瞭然であろう。
 液状化を防ぐ方法としては、埋め立ての前に地面の要所要所にくさびのようにパイルを打ち込むことだそうだ。そうしておけば地震などによって起こる液状化を防ぐことができるらしい。では人間の魂あるいは精神の液状化を防ぐには? 社会の成員ひとりひとりが、常々、自分の役割を自覚し、ときに再認識することだろうか。なんて言うと、修身の教科書(といって私自身は戦後教育の最初の一年生で、修身がどんなものかはまったく知らないが)や道学者の臭いがしてくるかも知れない。
 いや私の言うパイルは、そういった職業上の倫理規定などよりもっと基本的でシンプルなものである。要するに、その人の職業がどうであれ、誰しもが持つべき基本的な要件、つまり人間は互いに助け合い支え合うもの、という人間の基本条件を、単に頭だけでなく骨の髄まで体得していること
 でもそれって、このごろテレビでしょっちゅう流されている福島応援歌の「アイ・ウォンチュウ・ベイビー」、あるいは「笑っていいとも!」オープニングの一糸乱れぬ「こんにちはー」で醸し出される一体感とどう違う?
 うーん難しいね。ただ言えることは、人間同士、実はそれぞれまったく別の人格・個性を持っていることを認めた上での、つまり人間存在の原悲劇とも言うべき悲しみを土台にした連帯感だと思うよ。つまりいま、とくに大震災後に日本中に渦巻いてるお涙ちょうだい式のセンチメンタリズムの対極に立つ連帯感かな……やっぱ説明するとなると難しいね。ここはみんなで一度ゆっくり考えてみよかー。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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もう一つの液状化現象 への1件のコメント

  1. 松下 伸 のコメント:

     佐々木 さま
     
     「アイ・ウォンチュー・ベイビー・・」
     聞きました
     なんと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・∞

     形から入る。
     いつの頃からか?この列島の定式のようです。
     音楽も科学技術も・・・そうです。
     
     身のまわりを大切にする、
     素朴な想念・・ありません。
     でも、音楽も科学も、母胎は、本当はこれでは?

     列島の風土を思えば、「ゲンパツ問題」、
     もっと別の対応があったのでは・・
     ボブ・ディランが美しいのは、
     アイルランドの風土や歴史をよく踏まえているからでは?

     素朴な想念。
     あった筈です。
     おしえて下さい。
                              塵 拝

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