液状化を止めるもの

夜ノ森公園の桜が見事だった。いちばん多いソメイヨシノがいまや満開、そして中に紅色の小さな花をつけた何と言う桜だろうか、アクセントを添えている。例年ならたくさんの屋台が並び、スピーカーから若者狙いのポップスが流れているのだが、今日はいっさいの音がない。見物客はそれでも十五人くらいはいただろうか。実に静かな花見である。寂しい気がしないでもないが、しかしこれはこれでなかなか風情がある。石のベンチに坐り、少し汗ばむくらいの陽光を浴びてしばし桜見物。茶色のダックスフントを連れた小柄なおばあちゃんが通りかかる。「おばあちゃんは避難してたの?」「んだ」「で、このわんちゃんは?」「預かってくれる人がいてー置いてったんだけど、気になってなー」「でもお宅のわんちゃんは幸福だよ。置いてかれたわんちゃんたちが町をさまよってたよー」「ほんとにむごいことになー」
 駐車場でダンボールを重ねた急ごしらえの屋台で焼き鳥やサイダーなどを売っている若者が一人いた。目が合うとにこやかな笑顔を見せる。なにか買ってあげたい。「お兄ちゃん、ここの人?」「ええ、すごそこの南町」「焼き鳥もらおうかな?」「ありがとうございます。売り上げ金は市役所にとどけるので助かります」「えっ、義捐金にするの。いいよ兄ちゃん、全国から義捐金が集まってるんだから、兄ちゃんの儲けにしなよ」「いやとんでもないっす。俺よっか困ってる人がいっぱいいるんすから」「そう、偉いなー、若い人に頑張ってもらって、この町を建て直さなきゃねー」「はい、頑張ります」
 昨日の局員に続いて、ここにも頼もしい若者がいた。地域社会の液状化を防ぐ細いがしなやかなパイルがここでも確実に地面に打ち込まれている。悲観することはない、この町はきっと立ち直る。車を走らせながら、熱いものが込み上げてきて、景色が膨らんで見えた。
 先日も、我が家の屋根の隅棟(たしか地元ではゲンだったか二字の通り名があったはずだが忘れてしまった)の一部が崩れていることに気づき、いつも修築などでお世話になっている吉田建業さんに電話したところ、二日後、誰かが屋根に上っているような音がしたので外に出て見ると、なんといつのまにか吉田さんが来て応急措置をしてくれていたのだ。お代は、と聞くと、いやいや今日のはいい、本格的に直すのは少し先になるけど、当座、雨漏りなどの心配はないから、と言う。彼は震災後、一時は避難したが、数日を経ずして町に戻り、いま日に7、8軒の家を廻って修理して歩いているそうだ。
 この町も捨てたもんじゃない。液状化を止める働き手が何人もいる。東電はようやく事故終結への工程表を発表したが、そんなものを当てにするわけには、つまり待っているわけにはいかない。吉田さんや今日の若者のように、もう再生は待ったなしで始められている。
 ときおり見るテレビにも、嬉しいニュースが少しずつ報道されるようになってきた。どこの漁師さんだったか見そびれてしまったが、国の補助金や賠償金など待っていないで(とうぜん出るだろうが)まず船を購入して、これまでのように一家に一隻ではなく三つの家族が一隻を共同で所有して漁に出るやり方を始めるという。また、津波で塩分を含んでしまった田にともかく苗を植えて、その都度塩分を繰り返しくみ出すやり方をしようとするお百姓さんもいた。たぶんこのお百姓さんの心の中には、これからはころころ変わる国の農業政策にはもはや振り回されないぞ、という強い決意があるのでは、と想像する。
 クソ原発事故になぞ負けてたまるか! がんばれ東北、がんばれ日本!
 おや、テレビのコマーシャルと同じ? いいやどちらでも、元気が出てくるなら。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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液状化を止めるもの への1件のコメント

  1. 加藤万由子 のコメント:

    知り合いのブログで知って、このブログにたどり着きました。

    私も先週金曜日、「被災地へ支援物資を届ける場合には
    各自治体にその旨の証明を出してもらい
    道路代を無料にして届けることが出来る」、と
    聞いて出かけたところ、地元の市にはこの書類が不十分だの、
    あの書類が不備だの・・・。

    道路公団は、「事前に証書がなくても、支援物資を輸送する場合には
    とりあえず無料で通過し後で書面を送付するという方法でも良い」と
    言っているくらいなのに、とにかくしゃくし定規・・・。
    仕方なくそのまま県庁のほうへ一時間以上かけて行き、
    証書を発行してもらいました。
    それでもまだ県庁がちゃんと機能してくれてよかったですけれどね。

    こんな対応の地元自治体・・・。東海地震が来たら確実に被害を受ける地域。
    そのときもこんなしゃくし定規だったら・・・と思うと恐ろしいです。

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