愚策、ここに極まれり

沖縄の高校生のブログに触発されたからであろうか、この日本を何とかまともな国にするにはどうしたらいいか、などと、柄にも無く建設的・政治的(?)なことをすこし考え始めた。なんと言っても手っ取り早いのは、日本の政治を変えることか。で、この次の総選挙(いつごろになるんでしたっけ?)では、郵政民営化を争点にした総選挙の時のように、エネルギー政策を一点集中型の争点にすべきではないか、などと考えた。でも既成の政党はいずれも頼りない、ならば1980年の旧西ドイツで華々しく旗揚げをした「緑の党」よろしく、脱原発・反原発だけでなく自然エネルギーの本格的利用を主張する新党を結成したらどうだろう? して、その党名は?「風と太陽の党」。どうです、かっこいいっしょ? 言うまでも無く風力と太陽光の活用を積極的に推進する党である。
 そんな明るい未来を描こうとした矢先、またもやとんでもない愚策が発表された。例の計画的避難区域と緊急時避難準備区域の新たな設定、そして従来の避難地域を警戒地域と改名し、そこへの立ち入りを禁止するという愚策である。我が南相馬市はこれら三つの区域がいずれも含まれるという光栄に浴している。
 順序を逆にして、先ず違反者には罰金十万円以下が科せられるという警戒地域についてであるが、20キロ圏内でも放射線値が福島市などよりもずっと低い地域がある。私の友人の一人は震災後幸い津波被害を免れた工場を再開しようとして今日まで頑張ってきたのに、わずか百メートルだけ圏内に入っているため明日からその作業も中断せざるを得ない、何度も願い出たにも関わらず却下されたと悔しがっている(「東京新聞」本日付に詳細掲載)。たしか政府は「キメの細かい」対応をすると約束していたように記憶しているが、結果的にはみごとに杓子定規の裁定が下ったわけだ。はっきり言えば「キメの細かい」とは、事情を勘案して時には例外を認めることなのだが、その面倒を嫌がって情け容赦なく例外は切り捨てられていく。
 何度も言うが、この見事なまでのお役所主義・官僚主義・形式主義(欧文ではすべてビューロクラティック)は平常時にあってはそれなりに意味があるが、こういう非常時には致命的な害を及ぼす。以前も例に出したことがあって恥ずかしいが、初めての人もいるのであえて繰り返す。それは大林宣彦監督作品『青春デンデケデケデケ』で一瞬さわやかな涼風が吹き抜けていくような場面のことである。新しくエレキギターのクラブを作った生徒たちが部室を欲しがっているのを知った岸部一徳先生、彼らに特別に部室を確保してやる場面だ。「先生、それえこ贔屓とちがいますか?」と心配する生徒たちに一徳先生はこう言い放つ。「あゝ、やる気のある生徒にはどんどんえこ贔屓するよ!」
 友人は操業を停止して後々もらう補助金などより、いま動き出す機械やエンジンを動かしたい、待っている顧客に一日もはやく製品を届けたいのだ。こういう事情を知って文句を言う地元民など一人もいないよ。お役人というのは、先日のつくば市の市民課(!)役人のように、批判されることを病的に怖れるやからである。一徳先生は PTA に批判されることなど屁とも思わない本当の先生なのだ。
 しかし報じられるところによれば、このような警戒区域の設置を佐藤福島県知事が政府側に強く要請したという。もしそれが本当なら、知事の真意はどこにあったのか大いに疑問である。たとえばその地域の留守宅に盗みが入るから、というのであれば、これまでのように警察官が常時パトロールすればいい話で、警察官が住人の立ち入りを物理的にも阻止し、あまつさえ違反者に罰金を科すとはまるで独裁政権下の、国民の良識と分別を信じない強権的な政治以外の何物でもない。実はこれまで20キロ圏と30キロ圏の境目がどうなっていたのかは知らないが、警官か消防団員が交代で一人か二人立っていて、「この先関係者以外の方の立ち入りをご遠慮願ってます」くらいの穏やかな対応で良かったのではなかろうか。
 いや本当は、私自身がいま置かれている緊急時避難準備区域なるものの設置理由をもっとも怒っているのだが、どうしよう、このまま続けて怒りをぶちまけようか。それともここは少し時間を置いて、明日にでも冷静に話すことにしようか。そうね、別に急ぐ必要は無い。時間はたっぷりある。明日にしよう。
 そうそう、ついでだからちょっと別のことを書いておく。今日、一人の友人がこう私に質問した。「君が以前、大震災直後の対市民へのメッセージ発信の仕方に関して批判した南相馬市長がユーチューブで窮状を世界に向けて発信したことが意外に評価されているというニュースが流れているが、どう思う?」
 それがどういう経路でユーチューブとやらの電波に乗ったのかは分らない。たぶん潜入レポーターといった形の相手に訴えたのだろうが、結果としてはちょっと筋違いかな。つまり今回のことはまずは日本の問題、しかも彼は曲がりなりにも行政の一端を担っている人間、世界に向けて訴えることで、その外圧を利用して自国の政府を動かそうと思っていたなら話は別だが、どうもそうではなさそう。私自身は国粋主義者でも、いわゆる愛国主義者(愛国者ではあるが)でもないが、そこらまでの自重というか節度は持っている。まっ感想としてはそんなところかな。
 ともかく明日、今回の愚策を根本から批判してみたい。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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愚策、ここに極まれり への2件のフィードバック

  1. 松下 伸 のコメント:

     佐々木 さま
     
     「想定外」・・?
     逆に「シナリオ通り」では?
     有事体制・・戒厳令
     衣の下の鎧を見る思いです。
     はばかることなく、原始の世界にすぐ戻るのが
     統治者の常です。

     ごムリをなさらないよう
     相手は歴史です
     墨守はならずとも
     墨子の志は絶えませんから
     
     理知のつぶやき
     期待してますから

                  塵 拝
    追伸
     十一面観音に、「暴悪大笑面」というのがあります。
     極悪人の面相だそうです。
     マスコミ・芸能人など、確かにこの手合い、多いですね
     弱者・敗者を笑う独特な、あの上から目線・・

     

  2. ゆう のコメント:

    テイボー先生

    おはようございます。新党結成のご提案、同じ考えの人がいらっしゃいますのでご報告します。

    中沢新一さんが「緑の党」の結成を宣言しました。今月5日のことです。平川克美さんが主宰する「ラジオデイズ」というインターネットラジオ局で、平川さんと内田樹さんと中沢新一さんが緊急鼎談を行いました。タイトルは「いま、日本に何が起きているのか」。その模様は動画音声サイト USTREAM で生中継されました。(映像と音声の一部は下記のアドレスでご覧になれます)

    ●Ustream.tv: 2011.4.5「いま、日本に何が起きているのか」オマケ, 内田樹×中沢新一×平川克美
    http://www.ustream.tv/recorded/13786545

    中沢さんはかねてから日本にも「緑の党」が必要だと考えていたそうで、今回の福島原発の事故で腹を決めたそうです。綱領など詳細についてはいずれ発表するとのこと。

    この鼎談は来月上旬に本として緊急出版されます。タイトルは不明(未定?)ですが、朝日新聞社から、ゴールデンウィーク明けに出るそうです。

    5日の鼎談をパソコンで視聴しながらキーボードを必死に叩いて三人の話を「速記」しました(まさかすぐに本として出版されるとは思っていませんでしたので)。中沢さんの話を、メモのまま、ご紹介します。

    「今回の震災で日本がポキッと折れた。今までのように単に『復興する』と言ったら今度こそ根こそぎ日本はダメになる。日本には原発のノウハウがない。放水作業を見てフランスの新聞は『これぞブリコラージュ』と言った。全く次元のちがうものに対して、原発に対してもブリコラージュをやってしまう日本人とは何なのか。これまでと全く原理が異なるものに応急処置で済まそうとする。根源的なものに手をつけない。つまり無思想。原子力科学者には『原理』がない。明治以降日本は西欧の科学思想をとりいれたが『原理』には手をつけなかった」
    「エネルギー革命は人間が行う革命のなかで最大のもの。補助エネルギーをどう身につけるかは人間にとって根源的。火から始まり、第六次革命は石炭、石油。化石燃料は動植物なのでもともと生態系に存在しており、生き物は太陽エネルギーを体内で濾過する。しかし第七次革命である原子力は性質が全く違い、生態系の完全に外にあるものからエネルギーを取り出す。1942年12月シカゴ大学で原子核に操作を加え、原子力が生まれた。それまでの対象は原子核の外側の電子に限られた。第七次革命で原子に直接手を加えた。それと同時に大量消費時代が始まった。数十年後に日本史家は『第七次エネルギー革命が挫折し、別の道に入りました』と書くようにしなければならない」
    「原発は大量生産大量消費時代と結びついてイデオロギーになりモノテイズム(単一原理)を蔓延させた。日本人は神仏習合だからモノテイズム(一神教)のノウハウがない」
    「キュリー夫人は身を張った。全身癌だらけで死んだ。1942年シカゴ大学で原子力を作ってからは身を張る人がひとりもいなくなった」
    「神は生態系を怒りと共にぶっ壊す。それを受け入れたのがモーゼ。原発は宗教革命。フランスは原発推進国だが、彼らは原発がどういうものであるかわかっている。ノルマンディーの十キロ、二十キロでヨウ素の配布量を減らしている。
    「気持は征夷大将軍。東日本がひょっとしたら未来につながるフロンティアになるかもと思った。頼朝や家康はフロンティアという意識があった。フロンティアとして踏みとどまろう。逃げた人を批判するつもりはない。私自身水を買い占めちゃった。反省」
    「私自身、原発に対する真剣みが私自身にも足りなかったと反省している」
    「今は東北が最大の問題。三陸沖の人たちとは個人的に長い付き合いがある。福島は有機農業が発達している。今回の災害で自殺した人がいる。東北をいかに復興させるか。クリーンエネルギー、エコロジー派は歴史的に原発を支持してきた。だからエコロジーを安易に考えることはできない。エコロジーをどう乗り越えるか」
    「原発近くの農地は使えない。そこで、農地を借り受けて、太陽光パネルをたくさん並べて発電システムに変える。土壌は入替えて農業を再建。放射性物質の汚染を受けた土地で農業を再開する研究をやらねばならない。国の農業政策に振り回されない自分たちの農業を作る。首相が言う『高台を削ってエコ農業』はただの復旧。そうではなく、東北をエネルギーの先進地帯へ」
    「緑の党みたいなものを作る必要がある。ドイツとは出発点が違う。すでに友人たちと作る計画がある。内田樹さんにも事務局に入ってもらおうかな」

    長文失礼しました。

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