叔父の発明した非常用発電機

もうすぐで99歳になるばっぱさん(母です)、やはり長旅がたたったのか十和田に移ってからは体調をくずして入退院を繰り返していたが、昨日無事退院して、二度目の新しい施設に入ったそうだ。でも過酷な避難所ではなく、愛する長男や、そして最近では恋人同然の曾孫が側にいるのだから、たとえここで果敢なくなっても(すまん!ばっぱさん)御の字とひそかに(でもないか、いわきの姉と二人して電話で意見の一致を見たのだから)思っていたが、またもや元気を取り戻して、ちょっと怖いくらい。ところが、もっと怖いのは、帯広に住む彼女の弟(つまり私の叔父)である。ばっぱさんより五つ若いから九十三歳か。昔から仲のよい姉弟で、なんと誕生日までが(7月30日)一緒。今でも車を乗り回して、ダンス、パークゴルフ、カラオケと毎日遊びまわっている。
 この叔父がパソコン教室のおねえちゃん(インストラクターでしょうか)の手をわずらわせて、昨日、面白いものをメールで送ってきた。感謝状と非常用発電機の写真である。感謝状とは、次のようなものである。


感謝状

安藤健次郎殿

当社は今回の東日本大震災でエンジン工場が生産を停止し会社の存続すら危うい状況になりました。
 しかし、貴殿が考案されて当社で製品化したトラクター駆動発電機が大量受注となりこの苦境を乗り切る原動力とすることができました。
 よって、ここに金一封を添えて深く感謝の意を表します。

平成二十三年四月十一日

 東洋電機工業株式会社
   代表取締役 荒岡敏之

 
 大震災後は二日とおかずに「元気か」と電話をかけてくるこの優しい叔父が、先日恥ずかしそうにこの感謝状の話をした。ぜひ見せてくれと言ったことへの返事である。戦争中は戦闘機乗りで、グラマンを何機か落として雑誌「キング」に載ったこともある叔父だが、復員後は海水からの塩作りや糸の立たない納豆作り、シュークリーム作りといずれもぱっとしなかったが、とうとうチェーンソー販売でなんとか芽を出し、その余技に発電機まで発明していたわけだ。そのわりには相変わらず貧乏で、しかし同居を勧める娘の言うことを聞かずに一人暮し。娘(つまり私の従妹)の話だと、まるで病気みたいに元気なこの叔父の昔発明した発電機が、この大震災で大活躍をしているというのである。発電機と言っても、要するに田んぼに転がってるような古いトラクターのエンジンを利用するやつで、まさに震災後にはぴったりの仕掛けらしい。
 ところが叔父は、金一封をほんとうは義捐金にしなければ、などとおっしゃる。因みにその額を聞いて、甥は言下に忠告する。「いいよいいよ、そのくらいの(?)お金、叔父さんのほまち(小遣い)にしなよ」
 いや誰か関係者がこのブログを見てたらまずいので、大急ぎでこう付け足します。何十年も前に名もなき町の発明家からもらったアイデアを、今も忘れずにこうして感謝する心根こそ表彰状ものだ、と。
 原発にくらべてこの非常用発電機のなんといじらしいこと!それでこの機会にネットでちょっと勉強してみようという気になったのである。原発についてもほとんど知らず、ましてや自然エネルギー利用の発電についてはまるっきりの無知である。わが家は数年前から屋根にソーラーシステムを搭載しているが、他のエネルギーたとえば風力発電はどうなっているのだろう。常磐線は風の強い日にはしょっちゅう運転を止めるほど風の強い路線だが、原発亡きあと、正に風力発電最適地ではなかろうか。
 近年スペインは風力発電が盛んで、むかしドン・キホーテが立ち向かったラ・マンチャの風車などは現在は風力発電の巨大な羽根に変わってるんだろうな、などと見ていくうち、ぶつかったんです、すばらしいブログに。沖縄の高校生が作っているそのブログには、最近のスペインの風力発電事情がきちんと報告されているだけでなく、今回の原発事故に対する鋭い批判の言葉が、そしてそこに書き込んでいる若者たちの国を憂える真剣な言葉があったのである。実は私自身、このところずっと思い煩っていたのは、この国の若者たちは今回の原発事故をどう考えているのか、であった。正直、ほとんど絶望していた、私のような年寄りが頑張らなきゃならないのか、と。
 さっそく書き込みをして帰ってきたが、さきほど覗いてみたら、その高校生がこんな返事を書いていた。「佐々木さん。年齢的には17歳ですが、体調不良で一年留年して今は二年生です。付け焼刃の知識で社会問題について考えた事を書いています。被災地では今、非常に大変な思いをされていると思います。僕個人が出来る事は少ないかもしれませんが、こちらこそ、協力できる事があれば幸いです。コメントいただけて光栄に思います。今後ともよろしくお願いします。」
 17歳か、ちょうど71歳のはんたい(?)。嬉しいなー、こういう若者がいるんだ、日本も捨てたもんじゃない。

そのブログは以下のものです。興味のある方はアクセスしてみてください。blogs.yahoo.co.jp/cabiunirainejp.23715237html

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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