緊急発進!

タイトル、緊急発信の間違いではありません。実は昨夜あれからよくよく考えたのですが、もちろんぐっすり眠りましたぞい、今夜まで発信を待ってはいられない、という気になってきたのであります。いやいや、今度の政府決定は、とんでもない愚策どころか、悪法の極みに見えてきたのです。ですからポンコツ瞬間湯沸し号を緊急発進させねば、と思ったのであります。先ず次のような首相官邸災害対策ページ、特に2の「緊急時避難準備区域の設定」の(4)の文章を読んでください。

「(4)「緊急時避難準備区域」においては、引き続き自主的避難をすることが求められます。特に、子供、妊婦、要介護者、入院患者の方などは、この区域に入らないようにすることが引き続き求められます。ご苦労をおかけいたしますが、ご協力のほどお願いいたします。なお、この区域内では、保育所、幼稚園や小中学校及び高校休園、休校されることになります。」

 さらっと読んだ限りでは、この文章が意味する実に冷酷な、非人間的な肌触りが分からないかも知れない。つまりここで言っているのは、(子供や妊婦はともかくとして)要介護者や入院患者は入ってはけませんよ、ということ。まだ分かりません? たとえば私の妻などはここにいてはいけませんよ、と言っているのだ。考えすぎ? いやいや考えすぎなんかじゃありません。この文章はそう言ってるんです。つまり最初は、「あゝそうですか。いざというときには御主人が一緒に避難するんですね?」が、必ずいつかは、いやすぐにも、「どうして認知症の方がここにいるんですか? だってここに(指令書を指さしながら)入らないでって書いてるんですよ」
 そこまでは言ってない? あんた馬鹿とちゃうか? 悪法は一人歩きするんでっせ。警戒地域のことだって、一昨日までとは違って、これからはあそこの境界を越えると犯罪者になるんですよ。法は末端では必ず融通のきかない鉄の規律に変質するんです。現場の法の執行者は、たとえば三丁目の志賀さんの旦那さんだとしても、鋭い鉄の刃をかざす国家という化け物に変わるんですよ。
 たとえばですね、国法なんてものじゃなくて、もっと柔らかいはずの校規だとしても、ある場合にはそれこそ鉄の刃に変わります。むかし構内暴力が吹き荒れていたころ(ところで今はあの狂乱状態は鎮まったん?)、いましたね、遅刻してきた女子生徒を、眼も上げないでまじめにひたすら鉄扉を押して、結果押し殺したおじさんが…
 健康被害をおもんばかってくれる親切な取り決めですって! ウソ言うんじゃない、本音は、一人でも放射線による死者が出るとコケンに関わるからじゃないんですかい? 病人や障害者のことなんてこれっぽっちも考えてなんぞいないぜ!!!!まだ一人も死者が出ていない? ウソつけ!、すべきでなかった病人搬送や、不自由な避難所生活で、いったいどれだけの死者が出たことか! 健康被害? 言ってくれるねー、何百人、いやひょっとすると何千人もの、放射能によってではなく馬鹿な政治家ども、愚かなクビチョウ(それって恐竜の名前?)どものおかげで、どれだけの健康被害が出たことか。いつか必ず顕彰(おっと間違えた、検証です)してくださいね、今度の大震災の人災による被害者の実数を。
 このままだとせっかく町に戻ってきたお医者さんたち、ようやく部分的な診療を再開した病院の首を閉めたり、やる気を阻害したりしないか心配になって、ええいっ実名を出さしてもらいまっせ、私のかかりつけの優れたお医者さん石原開さんに電話しました。だいじょうぶ頑張ってもらえますか、って。すると彼は言下に、大丈夫です、ぶれることなんかありません。市の医師会の面々もみんな同じ考えです、って。嬉しいですねー、頼もしいですねー。馬鹿な政治家が何と言おうと、国民や市民(の一部は)は馬鹿じゃありませんぜ。
 ところで話は突然変わりますが、実は午前中、隣りの鹿島郵便局に局留めの小包を受け取りに行きました。ついでにゆうメールを一個出そうとしたのですが、慣れない仕事だったんでしょう、若い局員は料金計算にえらく時間をとり、おまけに間違える始末。思わず怒鳴りました(これこのごろ時々あります)、そして昨日の首相の言葉を文字通り解釈するなら、退避区域から準備区域になった所への郵便や物資の搬入・配達は早急に改善されるはず、それなのに勝手な解釈で依然として郵便業務を怠っているのはなんたるザマ! するとそこにいた若い局員たち、私の言葉にうなずき、本当にお客さまの言う通りです、上の方とも話し合って、善処するようにします! 聞いた?この人間的で真っ当な言葉!
 先ほど私に怒鳴られた若い局員は、重い方の荷物を急いで車まで運んでくれましたよ。こういう若い人がいるかぎり、おじいちゃん絶望しません!

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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