プラグを抜く勇気

新聞が読めるようになったのは良いが、いやなニュースが目に付く。今日のそれは、自民党内で「原子力守る」政策会議が発足したことである。東電の元副社長で現在は顧問の加納時男・元参議院議員が「参与」として名を連ねている。彼はインタビューで「低線量の放射線はむしろ体にいい。これだけでも申し上げたくて取材に応じた」などと、被災者の神経を逆なでするようなとんでもない暴論を吐いている。前にも言ったことだが、そんなに安全で、しかも健康にいいとまでおっしゃるなら、原発の側に暮すなり、あるいは日焼けサロンのようなところで、こんがり放射線を浴びたらよろしい。
 救いは、すぐ横に掲載されているインタビューで、河野太郎氏が「次の選挙でそういう議員(推進派議員のこと)を落とすしかない」とまともな答えをしていることだ。そうかい、早くも推進派がうごめき出しているのか。ただいつものことだが、今の日本ではまともな人は常に少数派であるという情けない事態が続いている。
 加納時男のニュースよりも胸糞悪いのは、ビンラディン殺害の詳報である。武器を持たない相手を有無を言わせず殺害したあと、DNA鑑定で本人であることを確認し、それから死体を海の底に沈めたそうだ。これって質の悪いマフィアのやり方じゃない? おまけに、作戦が漏れることを怖れてパキスタン政府に知らせることも、ましてや了解を得ることもなく敢行したというから恐れ入谷の鬼子母神である。そしてホワイトハウスでは、作戦の一部始終を映し出す画面を、大統領たちが固唾を呑んで眺めていたというおまけまでつく。
 9.11が憎むべき犯罪であったからといって、今回の無法行為が免責されるはずもないのに、これを批判する論調がほとんどないというのは、これおかしくないですか? そんなにアメリカに気を使わなくちゃならないんですかね。死者の数が違うなんて理屈は通りません。オサマとオバマとわずか一字違いだけど、無法者である点でもほとんど違わないと言われても抗弁できませんぞい。
 またチラッと見たテレビのインタビューで、ノーベル化学賞受賞者の野依良治氏が原子力利用の今後について、どうですか脱原発の方へ向かうということですか、と聞かれて、どうも煮え切らない言葉に続けて、推進派も反原発派ともに原理主義であってはならないというようなことを言っているのを聞いた。白状すると、私自身は脱原発と反原発がどう違うのかも知らない、ちょうど原水協と原水禁の違いが分からないように。ただ野依氏がどういう意味で原理主義と言ったかどうかは知らないが、原子力利用に反対することに宗教的な理由などあるとは思われない
 つまり私は以前から、なにか宗教的な理由から原発反対を主張しているのではない。科学的といったら烏滸がましいが、原子力利用は決してクリーンではなく、またそこに生じる危険を人間は回避できないというごく単純で明快な理由から反対しているだけである
 要するに、イリッチという人が言う「プラグを抜く(アンプラグ)」、もっと古い喩えでは「パンドラの蓋を閉める」勇気を持たない限り、人類は救われないぞ、と主張しているだけなのだ。しかし原発問題だけでなく、ビンラディン殺害に伴う世界の緊張化など、今さら繰り返すのも癪だが、なんだかいよいよ住みにくくなりますなー世界は。かといって他に行くところなどないわけでありまして、そんなこと考えていきますと、夜も眠れなくなります。でもありがたいことに、というか自然の摂理でしょうね、私にも睡魔が訪れようとしております。難しいことはまた明日考えましょうか。それじゃ皆さん、お休みなさい。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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プラグを抜く勇気 への3件のフィードバック

  1. 松下 伸 のコメント:

     佐々木 さま
     
     作戦名「ジェロニモ」とか・・
     果して、クレーム
     当然です。
     でも、ごく自然に出た本音でしょう。
     アメリカ先住民など、
     奴隷以下の、「駆除」の対象でしかなかったのですから。
     
     この作戦、法とか公正さと、どう繋がるのか?
     これこそ、ならず者の手口では?
     ならず者でも、
     穴太徳親分と吉良の仁吉の荒神山の血闘の方は、まだマシです。
     義理、人情がありますから。
     
     アンクル・トムは、嘆いているでしょう・・

                                        塵 拝

  2. 宮城奈々絵 のコメント:

    日本郵便再開、ヨークベニマル再開とだんだん日常を取り戻していく様子に安堵の気持ちでいたのですが、喉もと過ぎれば何とやらなのか(まだ過ぎていないのに!)、原発推進派が早速の動き、こういう日本が本当に嫌でたまらなくなります。加えて、アメリカ。私は別にテロリストの肩を持つわけではありませんが、家族の前で(家族と共にでしょうか)殺害することが義しい方法のようには思えません。まず頭に浮かんだのは、これで報復テロが起き、また血が流れるのだろうな…ということです。人を殺しておいて正義が成されたと言える感覚が分かりません。テロにより、また報復により、全く関係が無い、しかし、ある人にとっては大切な命が簡単に奪われることの愚かさに、何故こんな簡単なことに気付かない人々が多いのか…。
    原発では、仕事や助成金で助かった人々がいたとは思いますが、人々の生活また人生そのもの、時には命まで奪っていくと目にしながらも止めていこうとしない人がいること、ウンザリとします。
    そういう人々の頭に雷でも落ちればいいのに!と思ってしまう私もまた冷酷なのですが…。

  3. 川島幹之 のコメント:

    「原子力守る」政策会議発足とか、加納時男元参議院議員の暴言とか、いつの時代にも何も反省することのない人々がいるものだと、あきれています。
    ノーベル化学賞受賞者の野依良治氏のNHK番組は見ませんでした。何を言いたいかがわかるような気がしたからです。
    先の民主党の仕分けの際、「科学予算をもっと」と叫んだ学者の一人だったはず。やみくもに予算減に反対しているように思いました。
    かつてのノーベル賞学者は湯川秀樹博士のように、まず「平和」を呼びかけていました。「金」の要求が悪いとは言いませんが、ノーベル賞学者らしい世界的視野に立った主張に欠ける行動が、湯川博士らとは随分違うな、と思いました。

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