そろそろ再開しようか

昨日と今日、二日続けて朝方、布団の中で右足のふくらはぎが吊った、運動もしていないのに吊った。こんなことは初めての経験である。そればかりでなく、夢うつつの中で右手中指が、コの字型にやはり吊っていて、元に戻すとき、嫌な痛さが走った。指が吊ることはここ二月ばかりの症状だが、クリニックでの定期健診のとき相談したら、別に心配はない、と言われて安心していたのだが。血圧・尿検査など特に異常はなかったのだが、やはり疲れのせいだろうか。
 午後、十和田に行った孫の愛から手紙が届いた。手紙と言っても、B5の白い無地の便箋に三つのジャガイモが描かれ、その周りにキティーちゃんシールが貼られただけのものである。しかし良くみると、それらはジャガイモではなく、眼や口もある人の顔のようだ。さらに良くみると、それぞれの下に、「あいちゃん」、「おじいちゃんだって」、「おばあちゃんだって」、と頴美の但し書きがついている。愛はピンク、おじいちゃんは青、おばあちゃんはオレンジと描き分けているところなど工夫のあとも見られる。あと一月で三歳になる愛の最初の手紙である。
 それに元気付けられたわけでもないが(いや、どうしたってそうだろう)、いつもの散歩の途中、そろそろ私も再開しようかな、と考えた。再開と言っても店ではなくスペイン語教室のことである。あのクソ忌々しい原発事故のためにいつまでも打ちひしがれているわけにもいくまい。会場の文化センターはまだ使用できないであろうから、自宅でやってはどうか。夕食後、相馬市の O さんに電話してみた。世話役の西内さんや A さんに相談して後日知らせてくれることになった。初めから勉強というわけにもいくまいから、最初はお茶でも飲みながら元気付け合う会に、時間もこれまでのように夜ではなく、皆さん今は仕事がないから日中にする、という線で相談することになった。
 小高浮舟文化会館での文学講座の方は、いまのところまったく見通しが立たない。警戒区域で全員が避難しているからだ。年内に再開できれば御の字というところか。ところでばっぱさんの従妹のよっちゃんは今頃どこにどうしているんだろう。息子や娘(つまり私のまたいとこたち)が側にいるから大丈夫とは思うが。
 今日も通りすがりにテレビで辛いものを見てしまった。飯舘の酪農農家の牛たちがトラックに載せられて、たぶん殺処分場に行くところだろう。中に一頭、痩せ細ってはいるが、最後の力を振り絞ってトラックへの渡り板を昇っていこうとしない。待ち受ける運命を察知したのだろうか。やっと載ったトラックの板の間から飼い主が涙ながらに手を入れて牛を撫でていた光景が眼に焼き付いて離れない。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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