役割をはみ出るもの

昨夜はとうとうブログを休んでしまった。特に疲れていたわけではないが、美子の大事なものが大小とも昨日の午後から止まったままで気が晴れなかったからだ。これまでも何回かあったことなので、それに特に具合悪そうでもないので、大変心配したというわけではないが、それでもずっと気にしていたのである。初めてブログを読む人には何のことか分からないだろうが、要するに終末論的話題である(あゝ、この方がもっと分かりにくい、そうだろうなー)。
 それが昼少し前(起床時から二度ほど挑戦したあと)、ついに大小とも無事出てきたのである。何とくだらない話を、と思われるかも知れないが、私にとっては大問題、たとえ世界が、原発事故が、どうなろうと、それよりかはるかに重要なことなのだ。
 だから午後、晴れ晴れとした気持ちで散歩に出かけ、その帰りに久し振りにスーパーにも寄ったのである。めでたいことの後なので、美子にアイスクリームを、そして私にはビールを(おっと見栄張りました、発泡酒でした)半ダース買うためである。レジで順番を待っているとき、小柄で上品な顔立ちのおばあさんが私の方に近づいてきた。見覚えのない人である。するとそのおばあさん、にこやかに笑いながら、先日夜の森公園でお会いしました、ここにいつもいらっしゃるのですか、と聞いてきた。あっそうだ、あのときのおばあちゃん。確か小高から原町に避難してきた…
 にこやかに挨拶することがこんなにも人の心を温かくするんだ。だれもが会う人会う人に挨拶したら、どれだけ世の中が明るくなることだろう。それで先日ゆうさん(名古屋在住の教え子のハンドルネーム)のところで紹介されていた或る若者たちの泣けてくるような話を思い出した。いまテレビでしょっちゅう流されている「挨拶すればともだち増える」のCMを実際に実験してみたところ、通行人には不審がられ、最後には交番まで引っ張られてしまった若者たちの話である。
 それでまた思い出した。ずっと気になっていること。それは警戒区域で番をしているお巡りさん、どうしてあんな威嚇的な態度をしてるんだろう、ということである。警備に就く前に朝礼か何かでそう指示されるんだろうか。軍事基地や国境線の警護じゃないんだから、もっと優しい人間的な顔してもいいんじゃない。それでなくてもいろんなことがあって傷ついている人が多いの(なんだかおねえ言葉になってきた)。笑顔を浮かべていても(ニタニタ笑わなくてもいいです、それだとかえって気持ち悪りいから)だれも損しないのに。
 世の中、いろんな仕事、役割がある。会社員、銀行員、警察官……それは社会が機能していくためには必要なロール(役割)。しかし人間はそれぞれのロールにすべて収斂してしまったらロボット社会みたくなってしまう。つまり人間はそれらロールをはみ出るもの(であるはず)。警察官がその制服そのままのサイズで、そこからまったくはみ出るものがないなら、それこそ夜道の道端に突っ立っているベニヤ板の警官人形と変わるところがない。そんなだと世の中殺伐としてくるわけ…
 むかしありました久松静児監督の名画『警察日記』が。確かあれは磐梯山のふもとの町でした。森重久弥が人情家のお巡りさんを演じてました。そうそうあの映画で仁木てるみが天才的な子役としてデビューしました。昭和30年の映画でした。
 曽根史郎が甘い声で「もしもし ベンチで ささやく お二人さん 早くお帰り 日が暮れる 野暮な説教 するんじゃないが ここらは 近頃 物騒だ 話の続きは 明日にしたら そろそろ広場の 灯も消える.」って「若いお 巡 り さ ん」 を歌ったのも、その翌年でした。なんだかこのごろ殺伐とした世の中になってきました。機能化された人間がやけに多くなりました。もっと人間的にいきましょうよ。この大震災が、そんな人間性を取り戻す契機になればいいと思いますよ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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役割をはみ出るもの への1件のコメント

  1. 松下 伸 のコメント:

     呑空先生
     
     良かったです。
     お大事にしてください。
     
     「こむら返り」ですか?
     冷えるからでは・・
     小生もよくやります。
     たいてい、ふとんから足が出てます。
     もっとも、小生の場合、
     顔から、ふところから毎々「こむら返り」ですが。
     
     東電。
     補償と存続のため、公的支援とのこと。
     電気料値上げ、増税。
     消費者・国民は連帯責任を、とのご託宣。
     「自己責任」!
     経団連の大好きな、この言葉一体どこへ・・

                        塵 拝

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