嗚呼またもや自己責任!

やっぱり使いましたなー、国が大好きな言葉を…自己責任。実はこのところ、ずっと原発関係のニュースは見ないようにしてきた。もちろん精神衛生上悪いからである。だから川内村住民の一時帰宅の際、「警戒区域が危険であることを十分認識し、自己の責任において立ち入ります」という文言の入った同意書を書かされたことなど知らなかった。今日のニュースで、同じ文書の署名を求められた葛尾村の人たちがこれに強く抗議し、自己責任という言葉を撤回させ、さらに同意書を確認書に換えさせた、と知って、偉い!、と思わず叫んだ。
 一昨年の5月だったか、この村に住む N さん夫妻の家をスペイン語教室のみんなと訪ねたことがある。N さんたちは東京からこの村に移り住み、農業をしながら夫婦それぞれ創作的な仕事をしてきた。そこは阿武隈山系の背にあたる高原の美しい村であった。大地震のあと、安否が気になり何回か電話をかけてみたが避難したのかむなしく呼び出し音が鳴るだけであった。今日、テレビ画面の中を探してみたが夫妻の姿を認めることはできなかった。たぶん東京の親戚か知人の元に身を寄せているのかも知れない。
 それはともかく、先のような責任回避の意志が丸見えの、実にみみっちい官僚的な文章を書いたのはだれなのか。同意書(今は確認書)の宛先が何も書かれていないのも、意識的なのかあるいは単なる書き忘れなのかは分からないが、なんとも人間性の欠如したさもしい心根が透けて見える文章だ。
 自分を川内村や葛尾村の村民の身に置き換えてみたら、と考えるだけで、あゝ自分だったらとても耐えられなかったろうな、と思う。たぶん瞬間湯沸かし器が沸騰するまでもなく、意気阻喪して、目じりからは涙、鼻からはじくじく鼻水を垂らしていたかも知れない、避難所生活で牙も爪ももがれた老いた狼のように。悔しくて悔しくて胸がつぶれていただろう。ただ側に何も分からないでおろおろする妻のためだけ辛うじて生き続けていただろう。
 それにしても何ですか、あの薄い透明のビニール袋? 大きさはたったの70センチ四方の? 孫のランドセルを入れたら、もうそれだけで他のものは入らないよーっ! それに何で透明でなけりゃならない? 何であんなに薄いビニールでなけりゃいけないの? あれではまるで、破けるのを見越して、入るだけ商品を入れさせるスーパーの大売出しだぜ。なるたけ惨めな気持ちになるように仕組んだみたいだ。あゝだんだん腹が立ってくる。
 もっと大きな、しかも丈夫な布製の袋ぐらい用意できなかったの? 長ーい持間待たせて、それもアホみたいな予行演習までやって。好きでんなーこの国は予行演習、何でも予行演習。辞令の授与式、卒業式、入試……
 二月ぶりのわが家、どんなに懐かしく、また悔しい思いでの帰宅だったか。あんな予行演習する元気があるなら、村民が二時間の間に詰めた袋を玄関先に置く。そしてその後、トラックかなにかで役人どもが回収して歩く。そしたら、あゝビニールでなくて丈夫な麻袋だったら良かったに、と思うだろう。いや、言いたいのは荷物運びくらい東電社員か役人たちのサービスにしなさいよ、ということ。とんでもない迷惑をかけてるんだから、そのくらいの骨を折ってくださいな。
 だから確認書の最後の項はこうなります。

「私○○が玄関先に置いてきた袋を、東電社員あるいは日本国総理府の役人が避難所まで運ぶことを許可します。万が一運搬途中で中の品物を破損した場合は、運搬者の自己責任のもと、速やかに弁償することを要求します。」

★翌朝の追記  文中「総理府の役人」などと書いたが、たぶん同意書の文案を書いたのも、もちろん帰宅作業を監視したのも、地元のお役人なんでしょう。昔からお役人は、下(しも)に行けばいくほど、お上の、時にはお上が敢えて言い出せないような、意志を率先して体現するものですから。世界規模で言えば、教皇と教皇庁、国内規模で言えば天皇と宮内庁との関係に見られるように。ただし今回、天皇皇后両陛下は、たぶん宮内庁の意向を超えて、あるいは抑えて、人間としての自然な促しのままに行動されていて、私のような非国民もどきでもほのぼのとした気分になりますねえ。
★★追記の追記 今朝の新聞によると、現在の確認書にも、「十分に注意し、責任を持って行動します」と、まだ「責任」にこだわっている。問題児を指導する風紀係のバカ教員と同じ発想。国民をなめるな!

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

嗚呼またもや自己責任! への1件のコメント

  1. 松下 伸 のコメント:

     自己責任 様
     
     あなたは、居場所を間違えてます。
     正しい住所は、
     東京の、永田町と、大井町です。

                  東日本警察

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