ハアー
遥かかなたは 相馬の空かヨ(ナンダコラヨト ハ チョーイチョイ)
相馬恋しや なつかしや(ナンダコラヨト ハ チョーイチョイ )
夕食後、ユーチューブで久し振りに三橋美智也の「新相馬節」を聞いた(他にも森昌子や藤あや子、大塚久雄のがある)。伸びやかな歌声につれてはろばろと相馬の空が広がってゆく。相馬恋しや なつかしや。しかしその空はいま放射線に汚染されている。聞いているうち、かつてなかったことだが、不覚にも涙があふれてきた。懐かしい、そして悔しい、情けない。
1878年(明治11年)6月、イギリス・ヨークシャー出身の牧師の娘イザベラ・バードは東京を出発して日光から会津を通って新潟へ抜け、それからさらに北上して北海道まで、通訳の日本人の男一人を連れにしての旅を敢行した。後にそれは “Unbeaten Tracks in Japan” (邦訳名『日本奥地旅行』) として刊行された。芭蕉の『奥の細道』(1702年)よりもさらに長途の東北紀行を著したのだ。それはともかく、バードの本の原題に注意が向かう。アンビートンはもちろん「未踏の」という意味だし、著者もその意味で使っているわけだが、しかしそれは同時に「征服されたことのない」、つまり「まつろわぬ」の意味がある。
私自身百パーセント東北人の血を引きながら、実は東北については何も知らないまま生きてきた。もともと母方は八戸、父方は会津が先祖らしいが、双方とも相馬に流れ着いたのである。道の小草にも米がなる(相馬盆歌)豊かな相馬に。
開闢以来けいけんしたことのない大災害に見舞われた東北、鉄道網や幹線道路が寸断されて、一時はバードが旅した奥地に逆戻りしそうになった東北。いま少しずつ復興に向けての動きが始まっている。明治の富国強兵の時代には兵士の供給地として、太平洋戦争後の復興期には労働力の補給地として(「ああ上野駅」の時代)、そしてGNP世界第二位の時代には電力供給地として粉骨砕身してきた東北。
もしかしたら、この大震災は自分たちのそうした過去を根本から考え直す絶好の機会なのではないか。純朴とか粘り強いとか、おだてられてきた割りには真のアイデンテティーを持ち得ないままに来たことを真剣に内省してみる好機とすべきではないか。
国家エネルギー政策でも相も変らぬ供給地の地位に甘んじてきた東北。今回の事故は、東京電力という国家お抱えの巨大企業に正に収奪される図式が今さらのように露呈した事故だった。これからは巨大企業に吸い上げられる形ではなく、もっと分散型の、つまり地産地消型の形に変えていかなければならないであろう。
いやいや不慣れな領域で、よくは分からない問題について話すことはやめよう。ただぜひ言いたいことがある。新相馬節を枕に振ったのもそのためであった。つまりこの際私たちはそれぞれ自分とは何か、を真剣に考える必要があるということである。換言すれば、復興を目指すは良し。しかしどこへ? 個人であれ、国であれ、覚醒のために進む方向は二つ、いや三つである。すなわち元に帰る、現状を維持する、そして先に進むの三つ。復古も現状維持も論外であろう。では先に進むにはどうしたら良いか。いま誰しもが目標としているのは、単に元の町に戻すことではなく、むしろ新しい形の町作りを目指すべきだということである。
だがおのれ自身をつかまないままに前に進むのは愚かであろう。新しい青写真のもとにテクノポリスでも作ろうか? いやいや同じ進むにしても、これまで歩いてきた路線と地続きの未来ではなく、いうなれば内部に進むこと。
ちょっと古い例だが外国の例を出そう。1898年の米西戦争で新興アメリカ合衆国に負けたスペインは、自国の再建をめぐって喧々諤々の議論が持ち上がった。かつての栄光のスペインに戻るか、それともヨーロッパの先進諸国を目標に前進するか。そのときこれら二つの道ではなく第三の道を目指すべきという思想が強く主張された。すなわち前に進めではなく、内部へ進め、という思想である。
内部とは? それは既に経験した過去へではなく、いつの時代にあってもおのれの魂の中に流れていたものへと向かうことである。つまり自分たちの歴史の中に、いやもっと正確に言えばその古層に脈々と流れていたものの再発見へ。
新相馬節を聞くときに、おのれの内部に湧き上がりあふれ出すものの再発見である。この議論、いささか込み入ってきたので、中途半端だがまた次の機会までお預けにしよう。
「内部に進む」この言葉がとても心に響きました。
わたしは九州の生まれ育ちですが、震災以来、自分と自分の故郷について考えることが増えました。自分が暮らす場所への思い、その地で生きることの意味について、わたしはこれまで真剣に考えたことがなかったかもしれません。
ひとは何を求め、何のために生きるのか。ひとが心のいちばん深いところで必要とするのは何なのか。自分がどこでどう生きるか、よりよく生きるために自分ができることは何か、そしてよりよい社会とはどういうものなのか、わたしはもっと考えなければならない。
被災地の方々から学ぶことは想像以上に多くあります。その姿や表情、言葉のひとつひとつを忘れずに、心に書き留めていこうと思います。