前回の舌足らずのメッセージに鋭く、また適切に反応してくださった方もいて、あのまま途切らせるのは無責任なので、もう少し続けてみる。歴史の古層などと辞書にもない新語を作ってしまったが、それを基層と言い換えてもいい。実はこのあたりの考えは、このモノディアロゴスの名付け親(と言っても彼が自分のエッセイ群をそう命名しただけだが)で前世紀前半に『生の悲劇的感情』(1913年)などをもって世界的な名声を博したスペインの思想家ミゲル・デ・ウナムーノの考えを引き継いでいる。
私たちは歴史というものを、たとえば天皇や王様など為政者たちの交代、あるいは戦争や領土拡大などいう大きな歴史的事件の継起として捉えるのがふつうである。しかし実際は、そうした表立った交代や継起は、ちょうど海面に惹起する波のようなもので、それらを支え産み出す深い海底なしには存在できない。ウナムーノは歴史の基層を内なる歴史(intra-historia)と名づけた。つまりレパントの海戦の大勝利の日も、いつものとおり生ぬるい水と固いパンをもって黙々と生業に携わる無数の名も無き人々の存在抜きには意味を持たぬ空騒ぎに過ぎないとしたのである。
歴史の表面に層々と積み重なったものを掘り下げていくと、その底に確かな手触りを感じさせる人間の基層にぶつかる。たとえば今回の大震災のあと、各地でたくさんの新しい出会いが、そして思いもかけない懐かしい再会があったはずだ。もちろん素晴らしい出会いや再会だけではなかった。ふだんは信頼し一目置いていた人が、意外にもそうではなかったという苦い発見もまたあったはずだ。
そしてそれら個々人の中に、さらに内なる世界が広がる。自分でも気づかなかった内なる私の発見。またまた話が脈絡を失って拡散しそうだが、怖れず続ける。たとえば私の中には福島県人とか東北人とか、日本人とかに納まりきれないものが見えてくる。たとえば私の中にかなりの確率をもって先住民族のアイヌ(神に対する<人間>を意味するそうな)の血が流れている、そしてさらにその底には縄文人の血が…
今ではほとんどかえりみる人もいないが、かつて江上波夫の騎馬民族日本征服論が騒がれたことがある。歴史学的に異論があるかとは思うが、しかし日本人のアイデンテティーを考える際、大和朝廷を中核とする農耕民族と固定せずに、もっと広い世界の中で考えるための大きなヒントを与えてくれるのではなかろうか。
話は一挙に跳びますよ。だから今朝の新聞を見てびっくりしたし、イヤーな感じを持った。つまり大阪府の橋下徹知事が代表を務める地域政党「大阪維新の会」(維新)の府議団が、府立学校の入学式や卒業式などで国歌を斉唱する際、教職員に起立を義務づける条例案を5月定例府議会に提出する方針を固めた、というニュースである。何を馬鹿なことを言っとるか、である。これまで口がすっぱくなるほど(あゝ懐かしい表現)繰り返してきたが、伝統と伝統主義が違うように、愛国心と愛国主義は似て非なるものである。網野善彦氏の指摘を俟つまでも無く、日本国の存在はそう古いことではない。ましてや国歌や国旗においておや。つまり私は、日本人である前に東北人であり、アイヌとの混血であり、そして…縄文人なのだ。たかだか数百年の歴史しか持たぬ狭隘で排他的な日本人という範疇に押しこまないでくれー!
話はさらに飛ぶ(もはや跳ぶどころじゃない)。だから時々BSで見るベネツィアさんの番組、いたく感心してます。彼女、並みの日本人より、もちろん橋下知事より、はるかに日本人ですなー。彼女が日本国籍じゃなくても、たとえアイルランド(でしたか?)国籍でも、そんなこと関係ない。彼女は日本人が失ってしまった日本人の魂を生きてますぞい。
最初怖れていたように、話は収拾がつかなくなりました。またそのうち、この議論を蒸し返しましょう。おやすみなさい。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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