つらつら考えますに…

二日続けて東京からの客人を迎えたから、というよりこのところ天気が良くても風が強いことから、散歩を休んでいた。しかしちょうどいい具合に、一昨日、アマゾンから例のルームマーチが届いていた。スピード調節ができるので、かなり遅いスピードで美子にやらせてみた。片方の足をペダルに載せてもう一方の足を載せようとすると、先ほどの足をペダルから下ろしてしまう。そのままにして、と言うのだが、よく事情がつかめぬらしい。しかし何回か試みているうち何とかうまくできるようになった。自動的に自分の脚が動くので、不思議そうにしているが恐がる風ではない。慣れればうまくいきそうだ。これから雨の日や風の日でも散歩まがいの運動ができるわけだ。コマーシャルでは実際に歩くのと同じ効果があると言っていたが、まさかそれは言い過ぎ。しかし歩いた後の感覚に近いものが残っていることは間違いない。
 ところでそれぞれの客人から似たようなことを聞かれた。つまり今どんな感じで生活しているのか、という問いである。改めて考えてみたが、自分でも良くは分からない。なにか取り留めもない感じ、旅先で感じる一種の浮遊感のようなものと言ったらいいのか。あるいは本当の生活が戻ってくるまでの待機の時間、猶予の期間と言ったらいいのか。もともと掃除など好きではなかったが、崩れ落ちた本などまだ整理する気にはならないし、生活に必要な空間、いわゆる動線の範囲のゴミは片付けるが、それ以外のところを掃除する気分にはまだなっていない。
 いろんな方に送っていただいた救援物資の中にコスモス、エーデルワイス、そして石竹という私の好きな花の種の袋が入っていたが(すみません、どなたからか忘れてしましました!)、いずれもまさに今が撒きどきなのだが、庭に降りて植える気にはまだなれない。
 事故が終息しないうちは、このような中途半端な時間が流れ続けるのかも知れない。そう考えるとため息がでるが、しかし私たちの場合はまだいい方である。今も避難所生活をしている人たち、今また避難を余儀なくされている人たちに較べれば、天と地ほどの違いがある。30キロ圏外でも、たとえば福島市の場合、学校の校庭が放射線値が高くて使用できないところがあるそうだ。学童の親たちが心配するのも当然だ。表面を削り取っても、その土を捨てる場所が見つからない。
 心境の変化ということでは、テレビや新聞を見たり読んだりするとき、これまではあまり気にならなかったことがやたら気になりだしたことか。たとえば若いアナウンサー(男女を問わず)がニュースを読み上げるときの声の調子や表情がいやに気になる。原発関連ニュースを報じた後、次のニュースに移るときの0コンマ何秒かの顔の表情が気になる。要するに、お前は今報じたニュースの内容をどれだけ分かっているのか、どのように感じているのか、がまったく読み取れない。まるで人間味が感じられない、機械的な棒読みとしか思えないということだ。
 新聞記事にしても、今までは署名記事かそうでないかあまり気にしなかったが、震災後は無署名の記事でも、誰かが書いたものには違いなく、その彼あるいは彼女がどういうスタンスでこの記事を書いているのか、非常に気になってきたのである。これは、震災による疲れからかよりセンシティブになっているから、というのではなく、物事の正否、適不適、真偽などが以前よりはっきり見えてきたと思いたい。もちろんそれは物事についてだけではなく、恐いことに、人間についても言える(ように思える)。私の場合はそうご大層なものではないが、人によっては正に地獄を見たわけで、物事がそれまでとは違った風に見えるはずである。そしてそうあらねば、この未曾有の経験の意味がない、高い授業料を払った甲斐がない。
 おやおや今夜はやけに真面目なことを真面目に言いました、柄にも無く。

アバター画像

佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください