幻のクラブ

やけに暑い一日だった。もしかすると今年いちばんの暑さだったか。午後、区長さんともう一人(会計係り?)が今年度分の町会費(一年分3千円)を集めに来た。例年だと三月集金なのに、今日までずれ込んだらしい。かつてはこの町内の加入者は十軒以上あったが、現在は三軒だけ。しかも区長さんによると、角のTさん一家は郡山に越していったらしい。小さな子供さんが確か三人くらいいてにぎやかだったのに、やはりが先行き不透明な原発事故で見切りをつけたのだろう。
 二年ほど前、十軒から急に三軒に減ってしまったのは転居していなくなったからではない。なぜだかその年、町会に加入することを嫌う家が増えたからだ。町会といっても、回覧板を廻すだけの、そして年に一回、赤十字や野馬追の寄付金を出すだけの組織、おまけに年に一回は火の用心の見回りに出なければならない組織だから入りたがらないのも無理はない。昔のような地域社会のつながりは、こんな田舎でも希薄になるのは時代の流れだろうか。
 年に一度の野馬追のときも、地元の若い人たちは、祭見物よりも町の外に遊びに出かける人が多いとか。うっとうしい人間関係が敬遠されるのは、都会も田舎も変わりはない。私自身も十年ほど前に地元に戻ってきてからは、ボランティアでスペイン語教室や文学講座に出かける以外、地元の人たちと積極的に交際してきたわけではない。
 しかし今回の大震災のあと、町の復興という大きな課題を前に、これからはできる範囲でなにかもっと役立つことをしなければ、という思いに駆られている。これまでも時おりのパンフレットなどで、町づくりの青写真を見たような気もするが、今回の震災のあと、おそらくは従来の線を継続するだけでは復興は覚束なく、大幅な見直しが必要なのではなかろうか。だいいち最終的にどれだけの市民がこの町に残るのか、まったく予想がつかないからだ。
 私自身、なにか具体的な見取り図をもっているわけではない……いや待てよ、一度高校生を相手に或る組織を立ち上げようとして、みごと挫折したときに書いたものが残っているはずだぞ。ありました「ドキュメント」の中に。それはメディオス・クラブという組織になるはずでした。参考までにその組織の大体を以下にコピーしよう。

[本会の目的]
 本会は、私たちが住む郷土の自然の豊かさ美しさを再認識し、私たちの偉大な先達たちの業績を初めとする種々の歴史遺産を新たな視点から見直すことによって、私たちの郷土を、夢を育み希望をかなえるにふさわしい環境として次世代に譲り渡すことを目的とします。そしてそのために有効な伝達・表現手段(語学やインターネットなど)の学習・習得を通じて、世界のさまざまな文化にも目を向け、自分たちの郷土を広く世界に開かれた独自な文化発信地とすることを目指します。
   (※本会の名称メディオス (medios) とは、スペイン語で「手段・方策」と同時に広く「生活環境」を意味します。インターネットなど新時代のメディアを可能な限り駆使して、知的刺激に満ちた住みやすい生活環境を創り出したいとの願いがこめられています。)

※解説
 メディオス・クラブも人間の集まりですから、もちろんある程度のまとまりが必要です。しかし私たちは、組織というものがどうしても持ってしまう束縛や硬直化を出来うる限り排除したい、いやむしろいよいよ自由に個性的に生きたいと願う人たちのゆるやかな連帯です。
 クラブの根底にある思想はただ一つ、すなわち私たちの郷土を、ひいては「くに」と「ちきゅう」の「生」を脅かすすべてのもの、とりわけ環境破壊や戦争など、人間らしい生活を不可能にするすべてのものに「否」の姿勢を貫くことです。
 また私たちが「おしきせ」のものではない真の「ふるさと創生」を考えるとき、どうしても南相馬がその一部である「東北地方」というものを意識せざるを得ませんが、その意味でわが郷土が生んだ先人たち、古くは二宮尊徳の素志を継いだ冨田高慶、さらには実業家・半谷清寿(一九〇六年刊の著作『将来之東北』あり)や開拓農で思想家でもあった平田良衛などの先人たちに学ばなければなりません。
 また平和の思想に関しては、現憲法の骨格を構想し起草した鈴木安蔵、名作「戦ふ兵隊」の映画監督・亀井文夫の再評価がぜひとも必要です。またじっくり地元に生活しながら広く世界に目を向けた先輩としては音楽学者・天野秀延、いやこの地球を越えて宇宙を凝視した羽根田利夫(一九七八年彗星発見)などから多くのヒントを得たいと思います。
 ともあれ私たちが目指しているのは、私たちが住む郷土を「大切に思って見直す」ことです。新たに発見しなければならないものももちろんありますが、しかし私たちの「郷土」再構築のための材料はすでにじゅうぶん手にしていると言わなければなりません。つまり私たちがしなければならないのは、ちょうどばらばらになったジグソーパズルのピースを新たな視点から並べ直すこと、もう少し気取って言うなら、私たちの郷土を形成するすべてのものにロマンを取り戻すこと、本来持っているはずの輝きと魅力を見つけることです。
 その意味で言えば、戦後文学の中核で活躍した埴谷雄高、島尾敏雄、荒正人など郷土にゆかりのある作家たちから想像力の使い方を教えてもらいたいし、現に種々の分野で「もの作り」や創作に励んでいる仲間たちの協力を得て、私たちの住む南相馬を文化の香り高い、そしてしっとりと落ち着いた住みやすい「まち」、子供たちや若者たちが誇りに思える、そして「大切を尽くす」場所にしたいと思います。

※『日葡辞書』によれば、「大切」とは「愛」であり「大切を尽くす」とは「この上なく愛する」ことを意味した。

一人でも多くの賛同者、仲間が集まることを期待しています。ご連絡をお待ちしています。

九月十六日

          仮の事務局長 西内 祥久
           仮の会長 佐々木 孝

 
 九月十六日が何年のことだったか、もう忘れてしまっています。事務局長に西内さんを担ぎ出してますねー。そのころから彼にはいろいろお世話になってたんですなー。「生」を脅かすすべてのものの中に原発を名指ししなかったのは、当時の仮の会員の高校生の中に、双葉町から来ていた生徒が複数いたからで、今ならはっきり「反原発」を挙げていたでしょう。
 さあ、かつて挫折したこの幻のクラブを再度立ち上げるつもりなのか、そしてそれともっと大きな町の復興プランとをどう組み合わせていくのか。これまた大きな問題ですが、今晩はとりあえず幻のメディオス・クラブのご紹介をさせていただきました。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

幻のクラブ への1件のコメント

  1. 松下 伸 のコメント:

     呑空 先生

     メディオス・クラブ支部。
     今、勝手に立ち上げました。
     私=塵がやりますので、
     立ちあがる、でなく、
     まい上がる、か・・?

     郷土のウモレタリア(ふるっ!)に連帯します。
     郷土のロス・インディオスの声を聞きます。
     良い声があるような・・
     応援してください。

                         梁塵
     

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