さいはての町へ

夕陽の中、日高自動車道を沈む太陽を追うように一台の車が走っている。カーステレオからは、平山みきのハスキーな歌声が響く。

 ♪彼の車に乗って真夏の夜を走りつづけた♪ 

 おっと選曲を間違えたようだ。運転してるのは少々頭が禿げ上がっている六十七歳の男、助手席にいるのは歳よりずっと若く見えるが、それでももうすぐ九十四歳になるおじいちゃんだ。つまり運転するのはなぜか帯広の大病院の院長を辞めて、鮭が故郷を目指して遡上するように、少年時代を過ごしたさらに内陸部の上士幌で「はげあん診療所」(はげと苗字の一字を組み合わせた名前、もしかして赤ひげをパロったか)を開いている私の従弟、助手席のご老人はばっぱさんの弟、つまり私の叔父である。
 午後四時ごろ、今頃どこを走っているのかな、とためしに叔父のケータイを呼び出してみた。すると明るい青年みたいな声で叔父が答えた。「今ねー日高自動車道を走ってるの。いやーふだんはゆっくり話すこともなかったけど、こうして二人きりで走りながら、いろんなこと話したわ」そばで従弟の声がする。自動車専用道路を走ってる最中だからタイミング悪かったな、と思っていると、いきなり従弟が電話を代わった。えっどうして?「車を脇に止めたの。たーちゃん? いやー叔父さんとゆっくり話してるんだわ」と北海道弁で話しかけてくる。今晩は函館に泊まって、明日フェリーで青森に上陸、それから陸路十和田まで行くそうだ。
 平山みきは明らかに場違いではあるが、二人の青年のような弾んだ声でなぜか調子のいいドライブのイメージが浮かんだのだ。運転気をつけてね、と急いで電話を切った。いくら北海道でも道路わきに停めては良くないべさ。
 実は大分前、叔父から娘(つまり私の従妹)には内緒だが、フェリーで八戸港まで行き、それからばっぱさんを訪ねる、と聞いていた。もちろん従妹には黙っていたが、やはり高齢の一人旅を心配していた。ところが一週間ほど前、急遽従弟も一緒に、そしてまだ復旧していない八戸港経由ではなく青森経由で行ってくれることが決まったのである。
 明日、愛する弟(誕生日まで同じ)と甥に会って、どれほどばっぱさん喜ぶことだろう。住み慣れた先祖の地で最後を迎えようとしていたのに、原発事故だかなんだかわけの分からない変事のため、あれよあれよと言う間に本州最北端(でもないか)に連れてこられた。毎日会うたんびになにやかや口うるさかった次男(つまり私)の代わりに、いまは可愛い愛がときどき会いに来てくれるのは嬉しいが…そのばっぱさん、明日はなんだくなく(とても)嬉しい日となる。
 道産子だが北海道の地理に詳しくない。日高自動車道? それより先ず、日高山脈が分からない。日高山脈=狩勝(かりかち)峠あたりから襟裳岬に至る山脈。襟裳岬に立ったことはないが、狩勝峠は何度も越えている。秋の狩勝は最高だ。で日高自動車道とは? さっそくネットで調べる。北海道苫小牧市を起点とし、北海道日高郡新 ひだか町を経由して北海道浦河郡浦河町に至る予定の国土交通大臣指定に基づく高規格 幹線道路(一般国道の自動車専用道路)(一般国道235号)である。
 電話を置いてからも、二人の弾んだ声が耳元でしばらく響いていた。いいなあー、風を切って海岸沿い(たぶん)を走る古い寒冷地仕様のボルボ(五年前に行った時、確か従弟は古いボルボに乗っていた)。皮肉なもんで、原発事故のおかげで(?)、ここにまた一つ嬉しい人間のドラマが起こっている。

 ♪彼の車に乗ってさいはての町私は着いた♪

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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