※最後に二つの追記を加えました(25日午後五時)。よろしく。
朝日新聞の「いま伝えたい 被災者の声」には連日写真入で各地の被災者の生の声が掲載されている。私の一家も震災後まもなく、二つの新聞に載った。おかげでそれまで音信が途絶えていた人と再び繋がることができたし、これまでまったく知らなかったたくさんの人がこのブログを読んでくださるようになった。改めて新聞というものの威力を思い知らされた。そう言えば、終戦後間もなくのころ、NHKラジオの「尋ね人」という番組があり、戦争によって離ればなれになった人同士がしきりに互いの消息を尋ねあったものだが、それと同じ役割を、現在ではテレビと新聞が担っているというわけだ。満州からの引揚者だったわが家でも、知人の消息が知りたくてずいぶんあの番組を聞いたものである。
さて今日もそのページを見ていくと、あれっというような記事が眼に飛び込んできた。南相馬市原町区のお母さんと幼い二人の娘さんの記事である。自宅が津波被害がなく無事だったのに、放射能が怖くて福島市のあづま総合運動公園内の体育館で暮している親子らしい。あれっと思ったのは、震災後すぐのときにとりあえず避難していったのは理解できるが、それから二月以上も経っていろいろと状況が分かってきたのにどうして?と思ったからである。放射線値のことなら原町区より三倍も高い福島市でなぜ不自由な避難所生活を続けているのか、正直分からない。避難所生活が意外と楽しいと思っているなら、それはそれで文句をつけるつもりはないが……唯一考えられるのは、例の緊急時避難準備区域という、実際は現実と懸け離れている線引きに縛られていることか。
今日の散歩はまた新田川河畔だったが、その途中、迎えに出たお母さんと一人の小学生の姿を見た。隣りの鹿島区の小学校からの帰り道だろう。先日も言ったように、これも実におかしいことだ。私が小学生の親だとしたら、どうしたろうと考えてみた。隣町の小学校にバス通学などさせずに、原町区の空いた小学校での授業再開を主張しただろう。それが聞き入れてもらえなかったら、事故の方が収束するまで、自宅学習を許してもらえるよう働きかけたかも知れない。つまり日頃から子供の教育全てを学校に丸投げするような風潮を嫌っているからだ。それでなくても今は非常時(そして自分の勤務先は休業と仮定しよう)、だからせめてこの機会だけでも、わが家で思い切り本を読ませたい。私の家に来てもいいというお友だちがいるなら、我が家でその子らの面倒を見てもいい。もちろんまるっきり自由というわけではなく、学校側からおおよその勉強内容が指示される。
むかし教師をやっていたのに、と思われるかも知れないが、明治以降、日本ほど学校信仰が深く根付いた国も珍しい。子供の教育にとって、学校はあまたある教育手段の中でもっとも効率的で均質的な方法・手段の一つに過ぎない。つまり学校が独占的に教育全般を支配しているのはむしろ不健康なことだと、今度の震災を機に親たちが考えてみる必要があるのではないか。全てを文科省や教育委員会、そして学校に独占させるのではなく、それぞれの家庭が応分の責任というか権利を取り戻す必要があるということだ。
原発事故が収束するまでのあいだ、どうしても学校生活を続けさせたい家庭に対しては、校舎・教員などの手当てをするが、一方で自宅学習を希望する家庭に対しては(中高生については無理としても、少なくとも小学生に関しては)それを許し、そのためのガイドブックを作成し、担任教師が定期的に家庭を巡回し、必要な指導助言を行なう。なお夏休みなど数度にわたって放射線値など気にしなくてもいい大自然の中の林間学校などで思い切り友だち同士の友好を深められるよう配慮する……どうもこの自宅学習の可能性は夢のまた夢かも知れない。しかし今回の震災が、これまでの学校教育を根本から見直す絶好の機会であるにもかかわらず、相変わらず余裕のない、本当の思考力や創造性の涵養とは反対の、従順だが自分の頭で考えることの少ない子供たちを、まるで金太郎飴みたいに量産する学校システムを継続するだけだとしたら、情けない、無念だ、と思う。
一度地元の高校で開かれた相双地区の先生方のある教科の研修会に呼ばれたことがある。思い切って言わせてもらおう、なんと先生方の元気のないこと、たぶんつまらぬ雑務や部活指導で休み返上の生活に疲れていたのだろうか、申しわけない、これじゃ子供たちも元気がなくなる、と思ったことを覚えている。子供たちを地域全体が育てていくという発想転換をしない限り、南相馬の未来も暗いですぞ。もしもなにかお手伝いできることがあったなら、老躯に鞭打ってでもお手伝いします。話は思わぬ方向に脱線し始めました。ここらで軌道修正、いやここらで今晩は終わることにしましょう。
★追記 先日ここに登場願った「はげあん」さんこと私の従弟は、毎年夏にチェルノブイリ被災者の子供たちを北海道上士幌に招いてホームステイさせるプロジェクトをずっと実践している。来日時の検診と帰国前のそれとでは格段の相違(白血球? もちろんよい方への変化)が見られるそうだ。全国の善意の人たちの協力が得られれば、この特別林間学校計画は、実にいい考えかも知れません。どなたか具体的に話を進めていただけませんか。
★★ 迂闊にも知らなかったが、彼が代表を務める「チェルノブイリ里親の会」は、早くも3月17日に、東日本大震災の被災児たちを受け入れる準備を始めたそうである(「十勝毎日」報)。同会名称で検索すれば出てきます。
京都からおはようございます。
学校と家庭の関係については同感です。
以前、長く使っていた「登校拒否」と「不登校」に代わり、通学することの意味、家庭の役割が考えなれていきました。学校に行かなくても、学べぶ子供も多いのです。学校に通わないと、遅れる、排除されるとの不安を抱く親たちが多いいのでしょう。
ところで先日、小学校に子供を通わせている福島県の親たちが多数、文部科学省で抗議していている様子をテレビで観ました。
文部科学省からはあまり「えらい役人」ではない方が一人スケープゴート的に対応させられていました。
以前では門前払いでしょうが、こうした時期にさすが強権的な文部科学省も態度を柔軟にしたようです。
ところで、その親たちの言い分は彼らのブログでしか確認できないのですが、年間20ミリシーベルトの許容値を撤回せよというもののようですが、どの値にせよとは要求してないようです。年間1ミリシーベルトとすると、どれだけ子供たちの健康が守られるのかよくわかりませんが、また科学的にもよくわかってはいないようです。
とにかく「不安だ、子供の健康が心配だ」といる親たち熱意、要望に教育委員会が応えるかたちで動いているようです。
校庭の土を全国に先駆けて削って有名になった郡山市薫小学校は、私の娘も通ったことがあり、身近に感じて親の思いは想像できるつもりです。
また昨日はNHKの報道で、20ミリシーベルト未満の表面の土を削った保育園が紹介されていました。あの報道を観ていて、削る作業員が無防備であり、削った土を敷地内に埋めていたようです。その作業工程は安全なのか、埋めた土を誰がどのように何年間管理するのかがよくわかりません。とにかく土を削るということに流れているようです。これによってたとえば10ミリシーベルトが1ミリシーベルトになることでとのような効果があるのかが分からないまま進められているようです。
さらに福島県のすべての校庭を1ミリシーベルトにするための費用と期間およびその間の子供たちの生活をどうするのか、さらに削った土をどこに持って誰が保管するのかなどの計画が見えてきません。
それまでして20ミリシーベルト未満を1ミリシーベルトにすることの意味がよく伝わってこないのです。どれだけ子供たちが一生の間にがんになる割合が減るのか―たとえば1万人に2人が1人になるのか、100万人に2人が1人になるのかーの科学的数値が示されないまま、不安感だけが先行して、それに応えるように自治体も政府も動いているようです。
政府の答弁も「20ミリシーベルトでよいと言っているのではありません。できるだけ少なくすべきと考えております」と聞こえのよいことを言いながら、具体性は何もないのだ。現に、校庭の土をどうするのかの指針が未だ示していない。
もうひとつ分からないでマスコミもまったく関心がないのか、校庭の外の道、公園、隣接する住宅、山林の土はどうなっているのか、どうするのかです。薫小学校の傍の庭のある家に住む家族はどうしているのだろう。郡山市では公園の使用を禁止したと聞くが、だれがどのように管理しているのか伝わらない。どうも原発事故の対応でも、自治体レベルで縦割りに行われているようだ。教育委員会も「学校の外はシラナ-イ」のでしょう。
超長期におよぶ恐れのある原発事故の影響への市民の取り組みの一つとして、放射線量と生活の「両立とバランス」を考えるための材料を誰か早く示してほしい。
親たちの反応について、私もいろいろ考えさせられました。その心配はとうぜんと思いながら、しかし子供の情緒不安定は主に親たち自身の態度・姿勢にも問題があるのでは、と考えています。こういうことはだれも言えないでしょうが、そこは年の功です、こう親たちに言ってあげたい。国に安全策を講じてもらうよう強く働きかけることはもちろん大事ですが、三宅さんのご指摘の通り、今このご時勢、ぬらりくらりかわす文科省の役人たちの前で一方的に訴えて一時的に溜飲を下げるだけでなく(もちろんこれは衆目の関心を集める効果大ですが)、粘り強くマスコミや有識者(?)の協力を巻き込みながら、運動を持続させることが必要でしょう。しかし同時に自分たち自身も、この苦境の中で、いたずらに動揺せずに、したたかに生きる術を身につけていただきたい、家庭生活もこれまでとは違った角度からその意味を再考し、これまで欠けていたものが何かないか、しっかり考える絶好の機会にしてもらいたい。全てをお上や学校に任せるのではなく、自分たちが本来担うべき役割を再認識してほしい、と。