書き損じた手紙

「X君へ

 長い間ご無沙汰しましたがお元気ですか。君が今どこの教会の神父さんなのか、それともどこかミッション系の学校か大学の先生をしているのか、それさえ分かりません。たぶん君の方でも、私の行方は杳として不明なのかも知れません。ですからこの手紙も、どこをあて先にしたらいいのか分かりませんので、以前君がそこの主任神父を勤めていたという教会宛に送ってみます。そこから転送されることを信じて。
 さて今日は、40年以上もの長い年月の後に急に君に手紙を書こうと思った理由から書き出しましょうか。実はいま私は、今回の原発事故によって国から緊急時避難準備区域に指定されたところに住んでいます。2002年、それまで勤めていた大学教師を定年前に辞めて、母が一人住んでいたこの南相馬市に戻ってきたのです。
 いやいやそんな身の上話をしようと君に手紙を書き出したわけではありません。聞きたかったのは、今回の大震災、とりわけそれによって引き起こされた原発事故を君はどのように受け止めているのか、たとえば説教などで信徒たちにどう語りかけているのか、それを聞きたかったわけです……」

 いや、この書き方はここで止めます。実はXなる人物はある特定の友人をイメージして作り上げた人物ではありません。だから実に不自然で書きにくい設定だったことに気付きました。考えてみたかったのは、今度の大震災、とりわけ原発事故を宗教的に捉えるとどうなるか、そこのところが知りたかったのです。つまり私自身は今度の震災を考えるとき、宗教的な解釈や意味づけを一切考えてもみなかったことを、今更のように意外に思っているわけです。もちろんどこかの知事のように天罰だなどとは考えてません。
 ここで思い出したのは、千葉市に住むエレナ・マツキちゃんという女の子(7)がローマ教皇ベネディクト16世に、「どうして日本の子どもは怖くて悲しい思いをしなければならないの」と質問したところ、教皇は「私も自問しており、答えはないかもしれない。(十字架にかけられた)キリストも無実の苦しみを味わっており、神は常にあなたのそばにいる」と答えたというニュースである。このことを読むか見るかしたとき、教皇といえどもそう答えるしかないだろうな、と思う反面、なにか物足りない、というか肩透かしを食らったように感じたことを思い出す。
 これを別の角度から問うてみよう。たとえばキリスト教徒だけでなく仏教徒、イスラム教徒…要するに神を信じる人間たちの中に反原発論者はどの程度いるのか。もしかしてそういうアンケート結果がどこかで報告されているとしたら、ぜひ知りたい。私にとっては反・生命ということでは戦争も原発と同列にあるが、反戦についても同様のアンケートがなされたことがあるのか、してその結果は?
 キリスト教徒、特にカトリック教徒が国民の大多数を占めるフランスが世界一の原発推進国だったり、ワスプ(ホワイト、アングロサクソン、プロテスタント)が国の中核を占めるアメリカが世界一好戦的な国であることから考えて、反原発論者や反戦論者は少数派に属しているのかどうか。
 以前どこかで、私が反原発論者であることにいかなる宗教的意図も含まれないと言ったような気もするが、本音を言えば、かつて私自身がその一員であったキリスト教徒が反原発論者でないのはおかしいとの考えの裏返し(?)の意味でそう言っているのだが。
 ともかく、反原発論者であろうがなかろうが、人間の生き死に深く関わった今回の原発事故について、既成宗教の信徒たちがどう考えているのかをぜひ知りたい。原発問題は宗教と関係ない、そこに神が介入する隙間がないと言うなら、それは即、現代世界に宗教のための場所がない、ということにならないのだろうか。
 こんな大問題を持ち出してはみたが、私には論争する気は毛頭ないのでそこんところはよろしく。ただ、だれか親切に優しく(?)、ご自分の見解を教えていただければありがたい、なんて考えてます。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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書き損じた手紙 への2件のフィードバック

  1. いえねこ のコメント:

    こんにちは、はじめまして。
    新聞で拝見してから、リンクさせていただき、度々読ませていただいております。
    私はプロテスタントのキリスト教信者です。
    毎週、日曜日の礼拝に通っていますので、キリスト者を名乗っております。
    「クリスチャン」という言い方は軽い感じがして好きではないので、自分はお気楽な人間なんですけど(ブログも)、日本語で通しています。

    ところで、原発について、私は宗教とは関係なく反原発の立場にいるので、あまり参考にならないかと思いますが、コメントさせていただきます。

    私は具体的な行動をしておりませんが、私の夫は2000年に計画が中止された芦浜原発の反対運動に関わってきました。もともとは、いろいろな教会の牧師や信徒との交わりの中で誘われたようですので、全く宗教と関係なく運動していた訳でもないと思います。

    私は正直、その頃は子育て真っ最中で、夫のやることに反対もしなければ手伝うわけでもなく、反原発?いいんじゃない?って感じで、聖書のどこから反原発の考えが生まれたのかを知ることもしないでいました(夫に聞けばいいのにね)

    神が人間を創造された、人間が原発を造った、だから神が原発を造ったも同じ。
    そんな風に考えるキリスト者がいるとしたら、お付き合いお断りしたいですが、幸い周りにはそういうキリスト者はいません。
    中には全く無関心、それどころか政教分離に反すると毛嫌いする方もいるようですが、そういう人も私の教会の中にはいません。
    私も聖書の中から反原発だけでなく、脳死、臓器移植、戦争などの社会的な問題を考えたい、知りたいと思っているのですが、今の教会にはそういう学びの場はなく、礼拝中に深く語られることもありません。(牧師にそういう知識や思想が無いのではありません、語りだせば止まらないほど語りたいと思っているはずですが、礼拝中は公の場ですし、聖書を解き明かすのが礼拝説教ですので)

    創世記の1章28節にある
    >神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
    をどう解釈するかだと思うんです。

    私は、神が人を生かすために創られたなら、人も生命を生かすために存在しなければならないと考えます。ですから原発は便利だけど、命を脅かすものなので作ってはいけなかったと思いますし、浜岡原発が停止されて良かったと心から思います。

    あまり宗教からの観点が書けなくて参考にならず申し訳ありません。

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    さっそくのお返事、有難うございます。たぶんご存知かも知れませんが、いや大震災後のブログでは明かしていなかったでしょうか、実は私、元キリスト教信者だけでなく、元修道士志願者でした(五年ほどで還俗しましたが)。だからちょっと屈折しているのかも知れません。政教分離は歴史の必然だと思いますが、信者一人ひとりの中ではもちろんそうであるはずもないですよね。つまり一人の人間として、政治と無縁でありえないし、否応なく政治に巻き込まれたりしましますね。いま北アイルランド問題は一応の終息期を迎えたのかも知れませんが、長い間キリスト教徒間にも争いがあり、ましてやユダヤ教やイスラムとのあいだの争いはいまも世界の平和を脅かしています。9.11以来のテロを含む武力闘争も、いくらそうではないと言っても文明と宗教を根柢にした争いであるのは明らかです。
     いや原発問題から離れていきそうなので、ここでやめますが、でも生活の利便さを取るか、それとも生きとし生けるものの命を取るか、突き詰めていけばやはり宗教というか宗教的問題とからんできますね。そして飯舘の牛が可哀相だと言いながら牛肉を美味い美味いと食べている矛盾、じゃお前はベジタリアンの道を歩むか、と言えばその道に踏み込む勇気もない。まるで矛盾のかたまりですね。すみません、私自身が分からない問題を出すだけ出して。論争は疲れますのでしませんが、今回の震災を機に、私自身いろいろ考えています。また書き込みしてください。ではまた。

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