何のことか分からないタイトルをつけました。おいおい(呼びかけの言葉ではありません、追い追いの方です)説明していきましょう。ご存知のように、このモノディアロゴスは今から九年ほど前の二〇〇二年七月から書き始め、これまで四冊の本にまとめました。一冊目は行路社という出版社から、あとの三冊は呑空庵から私家本として。そして五冊目をそろそろ準備しなくては、と思っていた矢先に、今度の大震災に遭いました。ですから震災後のモノディアロゴスは、これまでとは少し違って現場報告といった色合いが濃くなったと思います。書き始めてしばらくして、旧友のS氏から、これは本にすべきだ、なんなら私が知っている出版社に声をかけてみるよ、と言われ、自分でも少しずつその気になってきました。
その気になったのには、これがたんなる個人的で身辺雑記的な述懐というより被災地からの現場報告としてそれなりに価値があるのではないかということ、いやそれよりもっと大きな理由は、このブログは私ひとりで書き継いできたのではなく、終始熱心に読んでくださったたくさんの方々の応援に支えられたものであるということ、さらには皆さんもその現場に立ち会ったからお分かりと思いますが、その都度すばらしいコメントに恵まれたことです。
実はいま現在、先ほどのS氏ほか何人かの方々に商業出版社からの出版の可能性を探ってもらっています。となれば、これから言おうとしていることは、その方々のご好意に水を差すものととられる恐れがあるわけです。しかし私としては、一般の出版社から(それも大きな有名出版社から)の出版がすべて不発に終わってから、つまり退路を絶たれてから、仕方なく言うべきことではなく、いわば私の残された時間の中での基本姿勢としての決意を前もって表明すべきだと思ったわけです。
とここまで書いても、まだ何のことやら分からないと思いますので、はっきり言います。つまり先日、朝日新聞で浜田氏が紹介してくださった私家本の仮題は『わが闘いの日々――大震災・福島原発事故の中で考えたこと』ですが、これをブログを読んでくださっている方の中でご希望があれば版下(つまり印刷すればいいだけの原稿)をそっくりお送りする(添付文書として)ので、それをご自由に本になさって(袋とじ印刷ですが)いただくのはどうだろう、ということです。
皆さんはどうか知りませんが、パソコン画面で見るのと、紙に印刷されたものを読むのとでは天と地ほどの違いがあると思います。電子本(と言うのでしたっけ?)が今後どれだけ普及しようと、その違いを埋めることは不可能と思っています。ところが幸いなことに、OA機器が長足の進歩を見せている現在、本にするのはきわめて簡単なのです。市販のB5のコピー紙に印刷して、それを二つ折りにし、背のところに木工ボンドを塗り、乾いたら厚めの紙を表紙にして完成です。厚手の紙ではなく、たとえば他の本の外箱をばらして表紙にすることも可能です。さらにそれを布表紙にも革表紙にすることも自由です。
そのための唯一の条件は、巻末の奥付の横にでも、「本書は原著者富士貞房氏の同意を得て○○が製本したものである」という但し書きを明記していただくことだけです。
もっと具体的で面白い製本の仕方は、たとえば常連のS. Tさんを例に取れば、ネットに残っているご自分の投稿を同じ様式(文字の大きさや行数)に直し、それを本文の該当個所に加えて、原著者富士貞房の横にコメンテーター■と明記した■バージョンの製本をするなどのことです。
具体的な作業については次回語ることにして、表題の意味をもう少し説明しなければなりません。まず呑空庵とは富士貞房の印刷・製本工房の名前である。といってパソコンとまったく普通のプリンター一台だけの工房である。現在まで約20冊ほどの私家本を作ってきた。なぜそんなことをしてきたか、と言えば、一般の出版社から何千部と出版されても、私には読者の顔も声も知らない。しかしわずかながら私が個人的に知っている方々に私家本を読んでいただく時の読者との交流は何物にも替え難いからである(ウソ言え、出版社から出してもらえないからだろう)。
さらに言うなら、出版社や編集者との交渉そのものが年々煩わしく思えてきたし、自分の書いたものを自分の流儀で、紙の選定から表紙のレイアウトまでまったく自由にやりたいからである。つまり鶴の恩返しの鶴が、おのれの羽根で布を織るように(あゝこれちょっと暗すぎる)、あるいは来客の顔を見ながらソバを打つ職人さんのように。
それがなぜ革命的なのか。電子書籍到来のせいもあって、最近の出版界は不況と言われて久しいが、しかしくだらない本は毎日ワンサと出ている。そういうくだらない本に較べれば、自分の作る本が出版される値打ちもないなどとはけっして思えない。それならどうするか。本は出版社から出さなければならないという考え方から脱する。だれもが出したいと思う本を自分で作る時代になったと覚悟すること。
有名な作家の例を出してそれこそ烏滸がましいが、むかし島尾敏雄は東京を離れて奄美に引きこもることになったとき、謄写版を使ってでも自分の作品集を作りたいと思った。幸いその夢は当時創業したばかりの晶文社が引き受けたが。またわが敬愛する先輩・小川国夫は処女出版の『アポロンの島』を自費出版したとき、同人誌『青銅時代』(次号からここ南相馬から刊行予定)に出した広告にただ一人の注文しか入らなかった。それが当時名瀬にいた島尾敏雄だったという有名な話がある。
実はこんな思いにさらに強く捕われ始めたのは、こんどの震災を経験したからである。すべての出版物は出版社から出され、うち二冊は(でしたっけ?)国会図書館に奉納される。書評からは手造り私家本などは無視される。いいじゃない、そんなところに色目を使わなくても。自分の死後、ただの一人でもいい、自分の書いたものからなにがしかのメッセージが、命の鼓動が伝わればいい。
こんな考えに共鳴してくださる方に、まず『わが闘いの日々』(156ページ、四六判)を実際に見ていただくか(私が作ってお送りするにはちょっと時間が必要です。そして申し訳ありませんが実費総額送料含めて五百円になります)、もっといいのは(私が楽なのは)先ほど述べたような手順で、私から送る版下を使って各自に本作りをやっていただくことである。パソコンとプリンターがあればだれにでもできる易しい作業です。この作業で覚えた手順で、こんどはみなさん一人ひとりが以後ご自分の作品を本にしていけばいい。もちろん呑空庵刊行の全ての本は、先に述べたような条件下で、希望する方にお分けします(本ブログ右上にあるホームページの入口からサイドメニューに進んでいただくと「呑空庵刊行物のご案内」があります)。
取らぬ狸の皮算用をあえて披露すれば、このブログを読んでくださる方の四分の一つまり百五十人の方が自分のため、友人のため、たとえば十冊作るとしたら、どこかの出版社から千五百部売り出してもらうのと同じくらいの伝播力があるということ。とにかくこの『わが闘いの日々』は、できるだけ早く、できるだけ多くの人に読んでいただきたいのです。
実は今日の夕方からこの未明にかけて、出版の可能性を探っておられた二人の方から、まだなんの進展もないとの連絡が入りました。でもここまで述べたことに共鳴される方があれば、そしてさっそく実践される方があれば、出版社からの出版が不発に終わろうとまったく意に介しません。
★具体的な作業については明日、おっともう今日だ、改めて説明します。
【息子追記(2021年11月10日)】
この投稿を公開したのは、2011年6月7日午前3時15分になっている。それと、本文中のいくつかの箇所は、父の死後訂正を施した。
さっそくのお返事、さすが歳に似合わず(失礼!)フットワークが軽いですね。「版下」などと慣れない言葉を使いましたが、要するにワード文書のことで、、簡単に添付してお送りできるものです。そちらで自由に編集などできます。もちろん私が書いた部分はいじらないで、Sさんの文章など自由に挿入することができます。Sさんの書き込みは大量なので、もしかするとページ数(これは自動的に変化していきます)200ページ以上の大著になるかも。なので、とりあえず1冊お送りしましょう。
先生のblogは時に頭を殴られたような衝撃がありますが、今回も驚きで頭上に大きな感嘆符「!」が落っこちて来ました。先生は本当になんて、自由でユニークな方なんでしょうか!!先生から頂いた御本を大切に持っておりますが、まさか自分が製本出来ることになろうとは…思いもしませんでした。ただ、哀しいかな…最近、我が家のパソコンが全く起動せず使い物になりません。このblogもいつも携帯から見ております。本の製本もしてみたいのですが、パソコン購入出来るかどうか次第となりそうです。この春、子供3人が進学、入学入園した厳しい財政難の我が家です…。
活字になった拙文を
神社・寺院に奉納してきました。
カッコつけてますが、
単純に売れないだけです。
懲りずにまだ続けます。
同じ奉納なら、
お賽銭か志納銭の方が
喜ばれるでしょうが・・
私家本つくり、勉強になりました。
塵(学ぶ)
奈々絵さん、いやいや、おめでたいことのトリプル・パンチですね。おめでとうございます。私が金持ちの足長おじさん(おじいちゃん?)だったら、さっそくパソコンの一台や二台プレゼントするのですが…私はケータイについては何も知らないのですが、あなたのケータイで添付書類など見れますか。もし見れるのでしたらさっそく送りますよ。でも文字が小さすぎる…でも拡大できるのでしたら…ご連絡ください。