原発特需の過去

四日ほど前、六号線から町の中心に向かう途中の「ココス」というファミレスで、スペイン語教室の生徒さん四人(といってもおばさんたち<失礼!>だが)と待ち合わせをした。三月十日(あゝ震災の前日だった)の最後の授業から二月ぶり(違う!三ヶ月ぶりだ!)の再会である。うち一人は避難先の茨城から久し振りの一時帰省である。授業再開はまだ見通しがつかないが、その前に一度会って元気を出そうとの趣旨の昼食会である。
 街中には適当な喫茶店も無いため、その店はけっこう待ち合わせに使われるようだ。その日も、昼食時であったことも手伝って、店の中はほぼ満席であった。どのテーブルも、私たちのように、久し振りの再会らしく、互いの近況を話し合ったり、メールアドレスの交換などに忙しそうだ。私たちの席でも賑やかに互いに近況報告が始まったが、そのうち震災後のいわば裏話めいたことも次々と出てきた。たとえば避難所にいた方が義捐金や賠償金の支払いが早いとか有利とかの理由で、自宅に帰ってもいいような人がいつまでも避難所生活を続けているなど。その他、突き詰めれば税金の無駄遣いのようなことが随所に見られるわけだが、彼らを非難する気にはなれない。そういう不安定というか、はっきり言ってさもしい心根(ちょっと言いすぎ)になっているのも、大きく言えば被害だからだ。
 そういえばいつの間にか家の近くのゲームセンター、昔風に言えばパチンコ屋さんが営業を再開していて、側を通るたびに、駐車場が満杯になっている。私自身、今ではまったくやる気はしないが、むかし子供たちがまだ小さかったころ、妻が家事をしながら夫の帰りを首を長くして待っているのを百も承知で、じりじりするような焦燥感に駆られながら玉をはじいていたときのことを思い出す。生活が不安定だった頃の話だ。東電からの賠償金のいくぶんかは、ゲーム盤の暗い穴の中に吸い込まれているのかも知れない。
 むかし東京に住んでいたころ、帰省の度に、町がなにか西部の町のようにざわざわと落ち着かない時期があった。今から考えると、それは25キロ南の原発建設の特需景気で町が潤っていた時期だった。やたらバーが増えていた。原発現場から工事関係者たちが毎晩のようにタクシーを飛ばして一夜の歓楽を求めてやってきたからである。立地町村の大熊町や双葉町のとんでもない町外れにバーの看板などが今も残っているのはその名残りだ。町には不釣合いなほど大きく立派な体育館などが東電の金で作られた。町民にはなにかと「お小遣い」が分配された。
 もう記憶が薄れてきたが、2002年に私たち夫婦が原町に戻ってきてすぐのころ、町村合併が始まり、原町市は北の鹿島町と南の小高町と合併して南相馬市となった。飯舘村は最後までもつれたが結局その輪から離脱した。賢明な判断だな、と当時も思っていた。それよりいちばん気になったのは、新たに合併する小高町が、その南の浪江町と一緒に、東北電力の新しい原発建設計画に賛成し契約を結んでいたことだった(年々延期されてはいたが。当初は2021年の運転開始)。
 町村合併は人間関係で言えば結婚と同じだとすれば、結婚前に相手の一方が他方に対して以後の生活に重大な影響を及ぼすような契約をしている場合、式を挙げる前にそのことを改めて契約相手を交えて三者が契約継続か白紙撤回かを決めるために協議すべきではないか、とメールか文書で問題提起をした記憶があるが、もちろん何の反響もなかった。当時だれもそんなことを問題視する雰囲気ではなかったのである。しかし今でもその問題提起は、法律的にも正しく理にかなった問題提起だったと思っている。
 また市から町会を経て回ってくるいわゆる回覧板には、定期的に東電からの原発宣伝・啓蒙のパンフレットが入っていた。一般企業の宣伝パンフレットを一方的に回覧するのはおかしいのでは、と抗議したところ、これは国の進めている事業ですから、との返答があったことを覚えている。つまり東電は国営企業の位置づけだったわけだ。
 もうどこかに書いたことだが、立地市町村の長たちが、いまさらのように被害者顔をしていることに怒りを覚える。彼らは、事故隠しが発覚して一時運転を止めていた東電や県に対して運転再開を強く求めた長たちである。まずはおのれの不明を反省し、それを町民たちに率直に謝罪すべきではなかろうか。どこかでもうそれが行なわれてたのならいいが、そんなニュースを聞いたためしが無い。今はその時期ではないのかも知れないが、できるだけ早いうちに復興は新しい長のもとに進められるべきではなかろうか。もちろんそれは町民や村民自身の意識の問題で、外からとやかく言いたくはないが。
 要するに、今回の大震災(原発事故を含めて)では、本物の被災者と被害者が、まず反省や自己究明の必要な人たち(もちろん彼らとて被害者であることは間違いないが)と入り混じっていて、なんとなくスッキリしない。真の復興のためには、これからそのあたりをきちんと整理していく必要があるのではないか。今さらことわるまでもないが、このことは国や政治家たちにも言えることである。この国では、だれもが被害者で、責任者はどこにもいないという不思議な構図が性懲りも無く繰り返されている。

アバター画像

佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

原発特需の過去 への3件のフィードバック

  1. 三宅貴夫 のコメント:

    京都からおはようございます。
    私が郡山に住んでいた1990年前後もそうした話をよく聞きました。
    福島県で最も貧しい浜通りのなかで、さらに貧しい中ほどに在る町々にとってみれば、「いいのかな」と思いつつ、目の前に積まれた札束を拒む元気はなかったでしょう。しかも、「貧しい町民のため」との大義があれば原発誘導はやりやすかったでしょう。今の町長たちが自ら誘導したわけではなく、就任した時、既に原発は誘導されていたと思いますが、それでも政策を変えることは不可能ではなかったと思います。
    自らの町の政策の反省よりも事故が起きてしまい町民を犠牲にして悔しい、これから町がどうなるのかとの不安の日々過ごし、過去の検証と反省の暇はないかもしれません。
    福島県知事はどうでしょうか。前の知事佐藤栄佐久氏は、就任途中から原発反対に政策転換したと聞きます。
    それ以上に、自民党政権から民主党現政権まで、得体の知れない原子力安全保安院を代表とする官僚と官僚機構は原発推進で原発事故前に何をしていたのか聞きたい。
    (昨日観たNHK教育テレビで語る寺坂信昭院長、それ以上にしらじらしくも語る原子力安全委員会の班目春樹委員長。この二人が居座っているのがよくわからない。それに保安院を代表してテレビですっかり有名になった西山英彦審議官のあの怖いくらいの無表情は何か)
    その検証と反省がないと、今、話している、行っていることへの信頼性が乏しくなるのです。
    マスコミも同様で、今回の大事故―まだその規模が不透明―が起こる、あるいは起こした前に、何を報道し、何を言ってきたのか、その検証と反省がまだない。さすが東京電力のコマーシャルだけは流していない。
    検証と反省というと、先のアジア太平洋戦争で負けてみれば、「一億総懺悔」でお終いにしてしまいました。そして、満州開拓団やシベリヤ抑留などに代表される戦争被害については万と語られてきました。最近になって、やっと元兵士らのが「死ぬまで語れない」が「死ぬ前に語ろう」と加害体験を辛い思いをしながら語るようになりました。
    マスコミ―代表格のNHKも朝日も―も、ここ数年、やっと検証と反省を行うようになりました。
    実はまだ先の戦争の検証も反省もあまりしていないのは私たち市民ではないかと思っています。明治神宮外苑での雨のなかの学徒動員壮行会の映像―これは映像としてヒトラー時代の「美の祭典」には及ばないも、優れていますが―がよくテレビで流され被害者として学生たちが強調されます。「きけわだつみのこえ」も貴重ですが、そこにいたるまでの学生の反戦運動はなかったのか、私の知る限り取り上げられることはまったくありません。
    政府や軍部を責めたり、当時の帝国主義時代のなかで戦争は避けられなかったと正当化する話し、これも万とありますが、反戦を訴えて共産党や一部の宗教者とは別に市民レベルでの反戦運動はなかったのか、一億総玉砕的に戦争参加へと進んでしまったことへの検証と反省はあまり聞きません。
    戦後の最大、未曾有の大地震、大津波、先の見えない原発大事故ですが、この日本と私たちの生活を破壊しかねない原発事故については、事故前に、何をしてきたのかの検証と反省を、国も自治体も、そして時に罪深いメジャーのマスコミも、そして市民も行ってゆくべきではないかと思います。
    誰か始める人はいませんか、大学の先生などに居そうですが。私は、うーん、ちょっと(オーット、責任逃れ?)。
    そうした過去の検証と反省に基づく視点を持たないことには、「東電たたき」と「政府たたき」だけを、多量の情報を持つスマスコミに左右されがら、「同じ過ち」を犯す怖れがあるのではと危惧します。
    よく口にする言葉「歴史は繰り返す」は、ネットのあやしい文献によると、ローマ時代の歴史家の言葉だそうです。何故か未だに通用するということは、人間あまり変わっていないかな。

  2. 松下 伸 のコメント:

     「誰もが被害者、責任者なし・・」
      
     最近、テレビで拝見する
     東電の企業統治者の面々
     皆さん、物腰、目線、表情
     金太郎飴です。
     背筋を伸ばして、言外の主張が見えます。
     「事故は遭難、責任なし!」 
     古いですが、映画「北京の55日」の
     デビット・ニーブンを彷彿。
     これって・・演出家を含めた、
     危機管理のプロ集団が裏にいるのでは?
     アングロ・サクソンの・・
     私の僻目か・・

                     塵(訝る)

  3. 安里睦子(サスケ) のコメント:

    今政界で吹き荒れている「菅おろし」も自民党や東電、に
    責任の矛先が向かうのを恐れての事かと思ってしまいますが…
    これから日本はどうなっていくのでしょうか。
    政治から身を守るためにはどうしたらいいのだろうと思います。
    モガ、モボの自由闊達な大正時代から、暗い昭和に移っていったのは
    関東大震災が契機だったと聞きますが…
    歴史は繰り返してほしくないと切に願うものです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください