記憶の尻尾

先日、真鍋呉夫さんのことを書きながら、その風貌を伝えるために、既に他界した二人の名優を足して二で割ったような方、と言おうとして、肝心のその俳優の名前が思い出せなかった。いや片一方の俳優はなんとか思い出せた。『七人の侍』の寡黙な剣の達人を演じた宮口精二である。しかしもう一人の俳優の苗字の最初の字が三であることまでは分かったのだが、どうしても思い出せなかった。酔っ払いをやらせると、右に出る者のいないあの名優なんだが…
 昔から物覚えは悪い方だが、最近は特に固有名詞がすっと出てこない。美子の一挙手一投足も、こちらの言うことが伝わるまでえらく時間がかかるが、しかし一度その回路を切ってしまうと、あとでなかなか修復しないのでは、と最近は何度も同じ言葉を根気よく繰り返すようにしている。それと同じで、思い出せないものがあった場合、いちどその回路を切ってしまうと修復に時間がかかると思っている。といってそのときはどうしても思い出せずにあきらめたのではあるが。ところが、今日になって思いがけないときにふいに回路が繋がった。そうだ三井だ、そして名前は弘次だ、と。
 ネットで調べると、二人を足して2で割るのはどんぴしゃりだったと再確認できた。そしてついでに、宮口精二の息子さんのお嫁さんが、用賀のインターナショナルで美子の同僚であり、夫婦して確かオーストラリアに移住したことまで思い出した。時間がかかったが、まだ記憶力の方は大丈夫らしい。
 それから探していた眞鍋さんの『月魄』はまだだが、『雪女』(冥草舎、1992年)が意外と近くにあったのを見つけた。そして先日、真鍋さんの句を評して、『用心棒』の冒頭シーンを思わせると書いた、その元となった句をそこに見つけた。こういう句である。

棺負うたままで尿(しと)する吹雪かな

 ものすごい句だ。確か『用心棒』では、葬儀屋(棺大工?)を藤原釜足(文末参照)が演じていた。おやおや、思い出す俳優はみんな鬼籍に入った人たちだけ、私も歳をとったということなんだろう。藤原釜足、と言っても今の人は分からないか。子どもたちとズビズバーと歌たった爺さん、と言おうとして、あっあれは左卜全だったと思い直した。で、その釜足さんが1936年、沢村貞子と結婚するが、10年後離婚したということを、今回初めて知った。まっ、そんなことどうでもいいか。
 ついでだから、その『雪女』の中にある凄い句をいくつか並べてみようか。

月光に開きしままの大鋏
びしょぬれのKが還ってきた月夜
盬酸(えんさん)の壜で火の玉飼ふ少女
唇(くち)吸へば花は光を曳いて墜ち
唇よりも熱きダナエの土ふまず

(ダナエ=ギリシア神話で父アルゴス王に青銅の部屋に閉じ込められたが黄金の雨となって流れ入ったゼウスと交わり、英雄ベルセウスを産んだ)

 凄みがあると同時に、濃厚なエロティシズムが感じられる句が多い。私など絶対にたどり着けぬ境地である。こうやって次々と好きな句が並んでいるのだが、きりがないのでこの辺でやめておく。ただ最後に、今回の大津波で亡くなった子供たちを想って、この一句。

死んだ子のはしやぐ聲して風の盆

川島幹之さんから以下のコメントが寄せられた。ありがたい。私の記憶の方も修正しておきます。
<「用心棒」の棺桶大工は藤原釜足氏でなく、渡辺篤氏です(現役の俳優に同姓同名がいますが、もちろん別人で、故人です。「七人の侍」では百姓に餅を売ろうとする行商人を演じています)。念のため。ちなみに、「用心棒」の藤原釜足氏は最後に気が狂ってしまう名主役でした。>

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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記憶の尻尾 への3件のフィードバック

  1. 川島幹之 のコメント:

    いつも読ませていただいております。
    コメントでなく、メールで出そうとしたのですが、アドレスがわからないので、ここに書きます。
    「用心棒」の棺桶大工は藤原釜足氏でなく、渡辺篤氏です(現役の俳優に同姓同名がいますが、もちろん別人で、故人です。「七人の侍」では百姓に餅を売ろうとする行商人を演じています)。念のため。ちなみに、「用心棒」の藤原釜足氏は最後に気が狂ってしまう名主役でした。
    モノディアロゴスは、教えられること、同感することが多く、被災地からの貴重な発信として欠かさず拝読しています。

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    川島さん、ご指摘感謝いたします。このように私の記憶の糸はもつれにもつれているようです。お蔭様で、そのうちの一本は救い出されました、有難う。

    澤井さん、いつも熱いコメント有難う。バッパさんの句(『虹の橋』、呑空庵刊、2008年)まで引き合いに出していただいて、さぞかし十和田のバッパさん喜ぶでしょう。さっそく頴美(息子の嫁)経由で知らせてやりましょう。

  3. 松下 伸 のコメント:

    コメントを見てドキ!・・
    先日、A新聞について苦言を申し上げました。
    A新聞は、若い頃の、私のあこがれの新聞社でした。
    当時、週刊誌「Aジャーナル」は、仲間うちのバイブルでした。
    続々伝えられる、パリの学生運動情報、T大、K大、N大の情報・・
    狭い下宿に集まって、皆で廻し読み、徹夜で議論しました。

    三宅貴夫さんも言っておられましたが、
    私も、本多勝一記者がとても好きでした。
    本多さんのような文章を書きたい・・ずっと思ってました。
    なにも出来ず、徒に馬齢を重ね、かいたのは恥だけでした。
    でも、若い頃の思い。今でもまだ持ってます。A新聞社のお蔭です。

    時代遅れかも知れません。あの頃のA新聞社を期待するのは・・
    ただ、Y新聞社か、S新聞社か?
    見分けがつかないような新聞ではこまるのです。
    もう一度、良識ある言論とは何か?
    原点に返って、問い返してもらいたいです。

    佐々木さまの貴重な場をお借りして
    的はずれなコメント、申し訳ありません。
    先生の、大切なご交友のなかに、
    同じ思いのマスコミの方がいらっしゃるか、と思いましたので・・

                             松下 伸 拝

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