カルペ・ディエム(この日を楽しめ!)

一昨日あたりから、ハードディスクの不具合(こういう場合いつも面倒を見てくれる■に直してもらったが)、スペイン・テレビ番組の取材などがこの猛暑の中で続き(前日より少しは温度が低かったので撮影は二階居間にしてもらった)、それが無事終わったと思ったら、今朝からは注文していたスキャナーが届いたのでパソコンに繋ぐ作業に没頭。いや別に没頭しなくてもよかったのだが、これがなかなかうまくいかなくて文字通り頭も体もそれでいっぱい。CDソフトでインストールし、付属のケーブルでパソコンに繋いだのだが、表示内容は忘れたが要するにドライバーが機能しないとかいうメッセージが出て、スキャナーはうんともすんとも言わないのだ。
 USBケーブルの接続の問題かも知れないと、重い体をベランダの外に出し、なんて書くと他人の体みたいだが、つまり腰痛治りかけの不自由な体を外に出し、パソコンの裏側を膝を折って背をかがめて点検して再接続したのだがやはり駄目。あげくはお客様相談センターに電話し、ものすごく丁寧な若い男に相談したが、ガイドブックにある対処法以上の秘策があるわけでもなく、これも無駄に終わった。そんなこんなで午前の時間はあっという間に過ぎた。
 なにをぐだぐだ言ってるって? つまりこうした作業は、これまでだったらさほど苦労もせずにクリアできたのだが、この歳になるとものすごく大変な作業に思えるということ、もうこの種の作業はここらあたりが限界だということである。昔なら…やめた、愚痴になる。ところがである。昼食後、ダメモトでもう一度接続したら、な、なんと、欲しかったメニュー表示が出てきた! どいうわけなんだろう、つまりは接続不良だったんだろうが、午前中はそれと同じことを何度も繰り返したのに。こうなると、機械にも悪意があるかも知れぬ、などと考えざるを得ない。
 ともあれこれで一件落着。三時過ぎ、このところサボっていた散歩のため、夜ノ森公園に出かける。ゆっくり坂道を上がっていくと、さすがに汗ばむ暑さだが、頂上(?)はそれでもいくぶんか涼しい。いつもの石のベンチで休む。中央の壇上にあった1メートル弱の銅製の姉と弟(あるいは兄と妹だったか?)の像は修繕のためか持ち去られられたままなのが、なんとも淋しい。ロータリーのはるか向こう側に老人二人が椅子に座り、その前に幼女を連れた二人の女性がなにやら楽しそうに話している。こちらからは見えないが、老人たちの側には犬がいるらしい。
 久し振りに聞く幼女の笑い声。美子の顔にも心なしか笑みが浮かぶ。するとその二人の主婦と女の子がロータリーを回って近づいてくる。すぐ右手の坂道を下るためである。ところが孫の愛よりも少し幼いその子が、笑顔で踊るように、手でしなをつくりながら近くに来たかと思うと、バレーの踊り子のように回転した。私たち夫婦のために踊って見せたらしい。上手ねー、と声をかけると、顔をこちらに向けたまま、体を折って踊りのポーズを決めた。次の瞬間、ピンクの可愛らしい服がくるりと向きを変えると、お母さんとその友だちらしい女たちの後を追って去っていく。
 そうだよ、放射線など気にしないで、思い切り遊んでおくれ。あなたのお母さんたちは、たぶん覚悟を決めたんだろう。放射線から遠く逃げることができないんなら、もうそんなこと気にしないで、この時を、この季節を、この微風を、この瞬間を楽しもう、と。カルペ・ディエムというローマの詩人ホラチウスの言葉を久し振りに思い出した。そうだよ、この日を、この時を、この刹那を楽しめ!明日は明日の風が吹く。この間のことも辛い日々だったけれど、この先だって分からない。なら、先のことをくよくよ思い煩うよりも、この流れゆく一瞬一瞬を精一杯楽しもう! 刹那主義? そう言いたきゃそう言ってもいいよ、でもこの一瞬の中に永遠があるとしたら?
 幼い肉声が坂道を降りていく。急に視界がぼやけ、鼻筋が熱くなった。あの幼女はいつか思い出すだろうか、曇り空の公園のベンチに坐って自分の踊りを見てくれたあの老夫婦を。すべての思い煩いから解き放たれて、一瞬の中に永遠をかいま見たあの老夫婦のことを。あれは大震災のあった年の夏の初め、公園を囲む土手に、むらさき、薄むらさき、そして薄いピンクの紫陽花が咲いていたあの午後の公園のことを。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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カルペ・ディエム(この日を楽しめ!) への4件のフィードバック

  1. 宮城奈々絵 のコメント:

    本日も非常に蒸し暑い一日でした。先生、奥様お体お変わりありませんか?腰痛のほうは痛みは和らいでいますでしょうか…。
    今日、私は娘との約束でディズニーランドに行きました。楽しそうにはしゃぐ娘に温かい気持ちを感じながらも、こうしていると何もかも夢のような気がするのに、と複雑な気持ちでもありました(ちなみに私はディズニーファンではなく…、暑い中並ぶのと人混みも苦手です…)
    ミッキーが言います「みんな大好き!みんなが友達だよ!」
    楽しそうにしていた娘が、ふと真顔になり、「ミッキーが大統領になればいいのにな…」
    この小さい胸の内にも、様々な思いがあるのだと思います。
    先生のお言葉、娘に伝えたいです。
    「今を楽しんで、踏み締めて、しっかり生きろ!」と…。
    また先生に、励まされました。

    追伸:前日にありました「次郎物語」、小学高学年の時、大好きで何度も読んだ本でした。久しぶりにもう一度読みたいな、と思います。

  2. かとうのりこ のコメント:

    カルペ・ディエム、っていうんですね。
    刹那主義? そう言いたい人には言わせておこう。
    今を犠牲にした未来などあるものか。
    先を思い煩って心ここにあらずで過ごすのも一日なら、
    目の前の花を愛で鳥を聞き、今ここに100%あるのも同じ一日、
    人生は一日一日の積み重ねでしかないのだから。
    私も心から同感します。

  3. 安里睦子 のコメント:

    カルペ・ディエム
    とても素敵な言葉とエピソードをありがとうございます。
    ビールが大好きな私は、毎晩「金麦」をのんでおりますが、
    これからはカンパーイと言わず
    カルペ・ディエムといって飲みましょう。

    実は、先生の御本が欲しいと思いHPのトップページにある”呑空庵刊行物のご案内”
    というところをクリックしてみるんですが、Not Foundとなります。
    私のパソコンのせいでしょうか。

  4. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    澤井さん、宮城さん、かとうさん
     いつもうれしいコメントありがとうございます。皆さんに励まされて書き続けています。どうぞこれからも宜しく。そしてこの機会にお願いしたいのは、まだコメントいただいてない方々にも、どうぞ気楽に、コメント入れてください、ということです。
     ついでに申し上げますと、先日皆さんが最近の新聞報道に関して真剣なご意見を寄せられたこと、とてもいいことだと思いました。ある友人の記者さんから、ぜひ具体的な指摘を新聞社宛に送ってください、と言われました。それぞれの新聞社にはそのための窓口があります。これから積極的に皆さんのご意見をメールしてはどうでしょう。もちろん梨の礫になることもありますので、そのご意見をどうぞこのコメント欄にも同時に開陳していただければ、と思います。数は少ないでしょうが報道関係の方々もこのブログをご覧になっていますので、少なくともその方々には届くはずです。どうぞ宜しく。、

    安里睦子さん
     すみません、私も今確かめて初めて気付きました。先日、若い友人にメンテナンスをしてもらった際、どうも不具合が生じたらしいです。先ほど彼に修理を依頼しましたので、今晩あたり復旧するはずです。申し訳ありません、今しばらくお待ちください。

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