南相馬に私と同姓同名の人が一人いた。なぜ過去形なのか、それは追い追い分かっていただける。
だいぶ前に見た映画『世にも怪奇な物語』(1967年)はエドガー・アラン・ポーの怪奇幻想小説を、フランスとイタリアを代表する3人の監督が競作したオムニバス映画である。第1話「黒馬の哭く館」はR・ヴァディム監督でJ・フォンダが主演、黒馬に乗り移った男の魂が令嬢を死へと誘う物語。第2話「影を殺した男」は監督L・マル、主演はA・ドロン。同姓同名の男の存在に脅かされるウィリアム・ウィルソンの末路を追った一編。第三話「悪魔の首飾り」はF・フェリーニが担当。酒で人生を持ち崩していく俳優の前に現れる少女の幻影の物語。
いずれもポーの原作を見事な映像作品に仕上げていて興味深かったが、とりわけドッペルゲンガー(ドイツ語で分身の意味)の恐怖を描いた第二話が印象に残る。自分の分身で あるドッペルゲンガーに出会ってしまうとその人は死ぬという話。だからというわけではないが、以前町の電話帳を見ていて、同性同名の人が一人いることがなんとなく気になっていた。もちろんどんな人かまったく知らなかったし、格別調べようとも思わないできたが。
ところが今日の午後、めったにしないことだが、自分の名前でネットサーフィンの真似事をしていた。すると今回の津波による死者の中に同姓同名の人が一人いるではないか。南相馬市萱浜愛原の人となっていたから、電話帳の人に間違いない。年齢89歳。見ず知らずの人とはいえ、同姓同名であったことは浅からぬ縁であることは否定できない。どんなおじいさんだったのだろう。家族は? どんな最後だったのか…生前は一面識も無い人だったが、以後、私の「死者たちの記録」に3月11日を命日とする死者として、私の生きている間、記憶され続けるであろう。
そしてさらにサーフィンをしていくと、南相馬市にもう一人同姓同名の人がいることが分かった。電話帳には載っていないが、農協のネット新聞「JAcom」に拠ると市の商工会議所で指導員をしている人とあった(だとすれば西内さんのかつての部下?)。昭和35年生まれだから今年51歳。原発が操業を開始したときには11歳で、広大な海と田んぼを見て育ってきた世代だ。彼は震災後、町の復興を目指す商店主たちの指導にあたってこうも語っているそうだ。
「その風景ががれきと、打ち上げられた船で埋まった。これからどういう国にするのか、問われていると思う」。
この佐々木孝さんは商店主らと、行政任せの町づくりではなく自分たちがビジョンをつくることが大事だと話し合い、「この地域で生きていくためのあり方」を探っていきたいと考えている。
かくして南相馬市の三人の佐々木孝のうち、89歳の孝さんは無念にも津波に呑まれ、71歳の孝さんは緊急時避難準備区域という奇妙な地域で今日も怒りのメッセージを発信し続け、51歳(たぶん)の孝さんは、町の復興を目指し日夜健闘しているわけだ。最初の孝さんには合掌そして安らかなる成仏を、そしてあとの二人の孝さんには心からなるエールを!
もしもさらに子供の孝ちゃんでもいれば、この町の佐々木孝の輪が未来へと繋がってゆくのだが…
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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