見過ごしてはならぬニュース

朝方、時たま訪れるハンドルネームゆうさんの「世界劇場(theatrum mundi)」「抑鬱亭日乗」を見ていくと、今月9日の項に悲しいニュースを見つけた(毎日新聞)。南相馬市の緊急避難準備区域に住む93歳のおばあちゃんが、6月下旬、遺書を残して自宅で自ら命を絶ったというニュースである。悲しい出来事だが、すべての報道関係者はしっかり報じなければならなかった大事なニュースである。ともかく先ず記事全体を紹介する。

   
  東日本大震災:お墓にひなんします 原発悲観、福島・南相馬の93歳女性自殺

◇住み慣れた自宅、遺書残し

 「私はお墓にひなんします ごめんなさい」。福島県南相馬市の緊急時避難準備区域に住む93歳の女性が6月下旬、こう書き残し、自宅で自ら命を絶った。東京電力福島第1原発事故のために一時は家族や故郷と離れて暮らすことになり、原発事故の収束を悲観したすえのことだった。遺書には「老人は(避難の)あしでまといになる」ともあった。【神保圭作、井上英介】

 女性は同市原町区の静かな水田地帯で代々続く田畑を守り、震災時は長男(72)と妻(71)、孫2人の5人で暮らしていた。長男によると、以前から足が弱って手押し車を押していたが、家事は何でもこなし、日記もつけていた。
 第1原発の2度の爆発後、近隣住民は次々と避難を始めた。一家も3月17日、原発から約22キロの自宅を離れ、相馬市の次女の嫁ぎ先へ身を寄せた。翌日、さらに遠くへ逃げるよう南相馬市が大型バスを用意し、長男夫婦と孫は群馬県片品村の民宿へ。長距離の移動や避難生活を考え、長男は「ばあちゃんは無理だ」と思った。女性だけが次女の嫁ぎ先に残ることになった。
 4月後半、女性は体調を崩して2週間入院。退院後も「家に帰りたい」と繰り返し、5月3日、南相馬の自宅に戻った。群馬に避難している長男にたびたび電話しては「早く帰ってこお(来い)」と寂しさを訴えていたという。
 長男たちが自宅に戻ったのは6月6日。到着は深夜だったが、起きていて玄関先でうれしそうに出迎えた。だが緊急時避難準備区域は、原発事故が再び深刻化すればすぐ逃げなければならない。長男夫婦が「また避難するかもしれない。今度は一緒に行こう」と言うと、女性は言葉少なだった。「今振り返れば、思い詰めていたのかもしれない」と長男は話す。
 住み慣れた家で、一家そろっての生活に戻った約2週間後の22日。女性が庭で首をつっているのを妻が見つけ、長男が助け起こしたが手遅れだった。
 自宅から4通の遺書が見つかった。家族、先祖、近所の親しい人に宛て、市販の便箋にボールペンで書かれていた。家族には「毎日原発のことばかりでいきたここちしません」。先立った両親には「こんなことをして子供達や孫達、しんるいのはじさらしとおもいますが いまの世の中でわ(は)しかたない」とわびていた。
 奥の間に置かれた女性の遺影は穏やかに笑っている。近所の人たちが毎日のように訪ねてきて手を合わせる。「長寿をお祝いされるようなおばあちゃんが、なぜこんな目に遭わなければならないのですか……」。遺書の宛名に名前のあった知人が声を詰まらせた。葬儀で読経した曹洞宗岩屋(がんおく)寺前住職、星見全英さん(74)は「避難先で朝目覚め、天井が違うだけで落ち込む人もいる。高齢者にとって避難がどれほどつらいか」と心中を察する。
 取材の最後、長男夫婦が記者に言った。「おばあちゃんが自ら命を絶った意味を、しっかりと伝えてください」(記事はここまで)

今さら解説するまでもない。今まで一貫して主張してきたように、行政のミスリード、そしてそれに翻弄された一家の悲劇である。
 おばあちゃんの遺書の写真も掲載されているが、この間十和田の施設で、七夕飾りの短冊に書かれた、高齢者独特のたどたどしい、しかしこれまでの人生そのものを凝縮したようなばっぱさんの字体に酷似していて、息を呑む思いである。ゆうさんのところから遺書にたどりつけるようになっていますので、ぜひごらんになってください。
私が見過ごしていたとしたらごめんなさい、しかしそうでなかったとしたら、他のショーモナイ新聞種を取り上げ、こういう大事なニュースを取り上げない他紙の姿勢に怒りさえ覚えます。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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見過ごしてはならぬニュース への3件のフィードバック

  1. かとうのりこ のコメント:

    私はこの記事を読んだことがある、と思って探してみたのですが、
    どうやらネットの毎日新聞で読んだようです。
    毎日新聞で検索をかけると震災関連自殺について追いかけているのがわかります。
    わが家で購読しているA新聞にはざんねんながら扱いはありませんでした。
    でも、直後の寒さや移動でおおぜいのお年寄りや病人が命を落とされたのを始め、
    家族や家を失って、あるいは原発関連で生業の先を悲観したりの自殺など、
    震災関連の死は枚挙にいとまがないはずです。
    地震からも津波からも生き延びたかけがいえのない命を、なぜそのように
    断つことになってしまったのか、個々人の生活(life)を軽視した行政には
    相当の責任があると思います。憲法にうたわれる人権ってなんなのでしょうか。
    毎日掲載される警察庁発表の死者/行方不明者数がむなしく感じられてなりません。

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    のりこさん、コメントありがとうございます。私が調べたかぎりでは地元紙も取り上げていないようです。私が問題視しているのは、他の多くの死亡や自殺とは違って(もちろんそれらも大きな問題ですが)、このケースは私のところと同じ避難準備区域で、家屋の損壊もなく、ほんとうなら避難しなくてもよい、いやもっとはっきり言えば避難すべきではなかった人たちが、行政の(とりわけ現地の)ミスリードによって難局に立たされ、そのうちのもっとも弱い立場の人が、自殺に追い込まれたからです。このおばあちゃんの場合は、家族が戻ってきて二週間、本来ならもう安心して暮せるようになったはずなのに、自殺なさっています。要するに避難準備区域という呪いをいまだ解かない行政に対する怒り、そしてそのために未だに不安な毎日を送っている人たちに対するやるせない思いです。

  3. chin のコメント:

    どうして、こんな世界になっちゃったんだろう? と、まず思うのです。
    愛だとか平和だとかの言葉が散乱しているけれど、そのオブラートの中身には大きくて深い問題が隠されています。
    私の母は自立歩行が出来ず、出かけるときは車椅子です。
    以前に比べるとバリアフリーが定着しつつあるものの、それでも出かけるときは頭の中でシミュレーションをして二の足を踏んでしまうときがあります。
    人の手を借りて移動しなければならないとき、本人はもとより周囲の人間のストレスも少なくありません。母もそれを察知して『ゴメンね。すみません』を繰り返します。
    自分で思う様に動けない人々はただでさえ不安なのに、更なる先の見えない巨大な不安に押しつぶされそうな気持ちだったのではないかと想像します。
    戦争も乗り越え、今迄の日本を支えて来てくださった人々が、何故こんな最後を選択しなければならないのか?
    歯がゆく、腹立たしい限りです。

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