唐突な帰還要請

Sさんからのメールで知ったのだが、昨日付けの「河北新報」は、南相馬市が市外に避難している2万8千人の市民に8月中に市に戻ってくるよう、12日に文書で要請した、と報じている。
 市によると、11日現在、福島県に1万565人、宮城県に2200人、山形県に2007人、新潟県に2548人避難しており、そのうち体育館などの一次避難所からは今月中に、宿泊施設などの二次避難所からは8月末までに退去するよう要請したということだ。
 しかし同紙も指摘しているように、南相馬市には警戒区域と緊急時避難準備区域が混在しており、一律に帰還要請をするわけにはいかない事情がある。また避難準備区域の中にも、たとえば大原地区のように放射線値が高い地域もあって、事情はさらに複雑である。避難市民の中から今回の要請があまりに唐突だとの反発が出ているのも当然と言える。それこそきめの細かい説明なり対応が必要である。私の知る限り、避難の発端では避難区域住民と屋内退避区域住民を区別せず、つまり後者は一応自主避難勧告対象者とはいいながら実際には区別なく、市に促されて避難バスに飛び乗ったわけだから、その時と客観的情勢が変わらないのに今度は帰還を促されているとの不満があるわけだ
 私の考えはこうだ。つまり避難の発端にも、そして今回の一応の終結にも、しっかりした基準が存在していない。つまり帰還要請の前に、先ず20キロ・30キロの実質を失った無意味な輪切りを早急に修正すること、そのためには正確な環境放射線マップを策定することである。素人眼にも明らかなのは、3月のある時点(水素爆発直後か)以来、地表の放射線値はほとんど変化の無いまま今日にいたっていること、それなのに時間と労力をかけて連日まことに勤勉にその同じ地点を測定し公表している。つまりたとえば三月末以来0.48マイクロシーベルト(あゝ懐かしい単位!)と変わらない地点を現在も律儀に測定し続けているのだ。ある程度測定値が固定した地点は測定を打ち切り、測定地域を広げていくこと。もしそうやっておれば、大原地区などの高放射線地区をもっと早く発見できたのではないか。
 要するにモニタリングの効率化、そしてそのスピード化によって、市内の放射線分布図を早急に仕上げること。そしてそれと同時に、残留市民やこれから帰還する市民が通常の生活ができるような環境整備に全力を尽くすことである。具体的に言えば、先ず保育所や幼稚園、小中高の学校再開の準備、病院、各種介護施設、図書館や文化センターなどの再開を現実化していくことである。
 もちろんそのためには、何度でも言うが20キロ30キロの無意味な線引きを早急に見直すよう国に断固たる態度で迫ることである
 つまり生活環境を整えないまま市民に帰還を促しても、そんな要請が聞き入れられるはずもないということである。市がここに来てにわかにあせり出したのは、河北新報も指摘しているように、これまで避難者を受け入れてたきた公共施設や宿泊施設が次々と契約期限切れを迎え、露骨に言えばそろそろ厄介払いの姿勢を見せ始めたからである。しかしそんなことは初めから予想できたことである。そのための布石を早くから進めておくべきだったのに、それをしてこなかったツケがいまになって表面化してきたというわけである。
 市行政の正念場である。しっかり難局を打開してほしい。そのためならいくらでも協力する市民たちがいたにもかかわらず、中央政府からの無意味な縛りを解かないで来た責任は重い。一つだけ小さな事例を挙げよう。たとえばだいぶ前、このブログでも紹介したが、図書館再開を市に要請したグループがあったはず。人手が足りないというのであれば、その手助けを申し出る市民がいたはずなのに、それを今日までかたくなに無視してきた市当局の姿勢には猛省が必要である。

コメントでゆうさんが知らせてくれたように、政府としては八月中に緊急時避難準備区域指定を解除するらしいが、そんなのを待っている必要はなく、いわば独断専行でいまから解除されたかのように市独自の復興作業を進めるべきである。いつもお上の指示待ちという地方行政の悪弊からいまこそ脱すべきである。と言っても、笛吹けども踊らず(マテオ11章)、か。空しいーなー。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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唐突な帰還要請 への2件のフィードバック

  1. 古屋雄一郎(ゆう) のコメント:

    テイボー先生、こちらではご無沙汰しました。
    本日14時34分配信の読売新聞の記事によると、政府は八月中に「緊急時避難準備区域」を解除するそうです。

    ●避難準備区域、8月にも解除…放射能測定も条件 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
    http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110714-OYT1T00612.htm

  2. 宮城奈々絵 のコメント:

    毎日蒸し暑いです。先生、奥様、お体の調子はいかがですか?
    我が家は節電のために扇風機と薄着で頑張っていましたが、東電新社長によれば電力に余力があるため関西に送電するとの突然の発表…。
    南相馬市の突然の帰還要請といい、東電といい、市民を翻弄するにも程があります。
    帰還要請については、あまりにも大きな犠牲を強いたのにも関わらず、この対応。目が点になってしまいました。私の住んでる市内の団地にも避難された方々がいらっしゃっいますが、帰還は諦め就職された方もいらっしゃいます。子供達も新しい友人と学校にやっと慣れたところだが、戻れるなら戻りたいという気持ち以上に、なぜ無計画にあちこち追い散らかされたのか…との怒りを友人は呟いていました。
    毎日の普段の生活を取り戻して欲しいですが、原発の状況がまだまだ落ち着いていない中、また再び退避と無責任に言うのではないか…と勘繰ってしまいます。

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