とうとうこの日がやってきた。昨夜原町入りした五人の演奏家たちが、今日(十八日)の午前11時から、駅前の市立中央図書館で被災地南相馬を励ます「愛のコンサート」を開いてくださったのだ。ここにいたるまで、畏友西内君が全てを企画し、必要な根回しをしてくれた。昨日、東京から東北新幹線で福島に来た遠来の客人たちを、六人乗りの車で福島駅に迎え、すでに暗くなった道を飯舘・八木沢峠を通って原町まで案内してくれたのも彼である。
図書館一階のほぼ中央のスペースにピアノが置かれ、客席は、さていくつあったろうか。五、六十? それらはもちろんぎっしり埋められたが、大きな吹き抜けの空間なので、その他の図書館利用客もあるいは本を読みながら、あるいは階段や空きスペースで立ち止まって演奏を楽しんだようだ。演奏が始まる前に、六月に四谷区民ホールで行なわれたチャリティーコンサートで集められた義捐金の贈呈式が行なわれた。贈呈者は菅さん、そして受け取り人は南相馬市の教育長青木紀男(としお)氏。南相馬市の子供たちの読書活動に使われるそうだ。震災前、頴美は愛を連れてよく図書館を利用していたが、この町の子供たちが本好きの少年少女、そして青年に成長していって欲しいと強く願わずにはいられれない。
さて私たち夫婦は最前列の椅子に坐らされたが、実はこんなに近いところから本格的なクラシック音楽を生で聞くのは生まれた初めて。美子も、意外と場をわきまえているようで、と言うより、彼女なりに存分に演奏を楽しんでいたようだ。演奏のあと、ヴィオラの川口さんのお話だと、彼女が「南部牛追い歌」を演奏しているときなど、大きく笑顔を見せていましたよ、と喜んでおられた。
この「南部牛追い歌」もその後に演奏されたアルビノーニの「アダージョ」もともに私が好きな曲であることをご存知で選んでくださったのだと、たとえそうでなくともそうだと思って、心から楽しんだ。この距離で聞く生の演奏の迫力は半端じゃない。ヴィオラの演奏だけでなく、もちろんわが舎弟(失礼!)のピアノ演奏も、そしてソプラノのど迫力も、ぐいぐいと胸に迫ってきて、恥ずかしいけれど(いや、そんなことはない!)時おり指で涙を払わなければならないほど感動していた。
演奏会のあと、とつぜんマイクを渡されて何かしゃべるよう求められた際にも言ったことだが、コンサートホールで客席から舞台上の演奏を聴くのとは違った不思議な感動が今回の会場で経験した。改めて図書館全体の内部空間と外観を見てみて(渡された図書館案内パンフレットを見て)、実にいい施設を作ったものだわい、と感心した。バッパさんは、箱ばかり作らないで、図書館などは旧NTTの建物を利用したらいいなどと言っていたが、あれは明らかに間違い。実にいい施設を作った。もちろん上手に活用したら、の話だが。
市民文化会館(ゆめはっと)の方は、いささか市の身丈に余る施設で、維持費をかせぐためにも都会から流行歌手を招くなどの集客努力をしなけければならないようだが、図書館はそれとはまた違った、市民の精神生活にとって実に必要不可欠の存在意義を持っている。
今回この機会に、やはり西内君の提案で、私がこれまで出版した著作物を一括図書館に寄贈することにした。市販の著・訳書16冊、呑空庵私家本22冊である。今回、安齋館長など図書館側スタッフとも初めて接触し、この町の若者たちの知育のためにできることは喜んで協力していきたい旨を伝えた。私の方からは2002年以降、その気持ちは初めからずっと持っていたのだが、どういうわけか今まで一切そのきっかけが無かったのである。大震災がなかったらこういう出会いもなかったのだから、それこそ災い転じて福となすの好例であろう。
ともかく、図書館の再開を待ち望んだ市民たちにとって、今日のコンサートは実にグッドタイミングの催しとなった。教育長の話だと、児童生徒はまだ半分以上戻ってきていないようだが、除染の徹底などを待って徐々にその数が増えていくことが期待される。もうすぐ原町区の緊急時避難準備区域という実情に合わぬ不名誉な呼称も撤廃されるであろう。相変わらず撤廃の反対を唱えている人たちにこそ今日のコンサートを聞かせてやりたかった。
いままで何度も繰り返してきたことだが、放射線禍は、人間に自然死以外の死を誘発するさまざまな要因の一つである(に過ぎないと言うべきか)。決してそれを侮るわけではないが、たとえば一日、全国でどれだけの人が交通事故で命を失っているか、あるいはどれだけの人が世をはかなんで自死を選んでいるか。それ以外にも多くの要因によって人は病や死に至っている。
たとえば運動不足や栄養過多によって命を落とす確率と放射線被曝(もちろん低線量の)による罹病率を……いやいや、だからといって放射線禍を軽視せよなどと言っているわけでは決してない。しかし先日の、いや今も、そしてこれからも毎年続く台風接近による甚大な被害を見ながら思うことは、このところ日本人は過敏すぎるほど、つまりバランスを欠いた恐怖心を持って放射線禍に怯えているのでは、との思いである。何度でも繰り返すが、だからと言ってあの恐ろしい放射能を甘く見ろなどと言っているわけでは決してない。ただ、いささかバランスを欠いていないか、と危惧しているのである。
楽しかるべきコンサートの話から、つい思わず脱線してしまったようである。先ほど、無事東京に戻った菅さんから喜びと感謝のメールが届いた。さっそく西内君にその旨を伝える。彼は帰りも、五人の演奏家たちを福島駅まで送ってくれたのだ。本当にご苦労さん、と言いたい。
※追記 演奏中、菅さんが愛の写真と彼自身のお孫さんの写真を側においててくれた。彼の飛び切りの優しさが現れて出ていた。
澤井さん、お祝いの言葉、どうも有難う。
ヴィオラの川口彩子さんからも昨夜、素晴らしいメールをいただきました。皆さんにも少しでも早く読んでいただきたく、川口さんの許しを得る前にここにご披露させていただきます。お許しを願うのははこれからです。どうぞうまくいきますように。
「やっと先生と奥様にお目にかかることが出来ました!私が現在までに足を踏み入れた中で最も見事な図書館で先生ご夫妻と、原町で「生きている」人々に音楽を通して私の気持ちをお届けする事が出来たなら、これほど嬉しいことはありません。「生きている」…と申し上げるのは、今回お会いした多くの方々が、涙を封印して一日も早く普通の生活が出来る事を目指していらっしゃるのが感じられたからです。終演後お会いした女性から「今日は涙が出て何度も泣いてしまいました。あの日から私は子供の前で決して泣くことなくやって来たの。今日初めて涙が出て。」とお聞きし「思い切って泣いて下さい」「ええ、これで明日からまた涙をみせずに子供達と頑張っていけます」と語り合いました。客席の皆様のお顔が微笑みを浮かべていらしたけれど、その心中には、とても私などが推し量れない程の様々なお気持ちが隠されている事を感じました。
こうして文字に表すと何だか安っぽい気持ちに思えてしまいますが、菅さんと二人で東京に戻って、行き来する人々の、何と無表情に見えたことか。まだまだ時間がかかるのは目に見えていますが原町の方々からは大変なエネルギーを感じた次第です。西内さんには福島まで2往復して頂き大変お世話になりました。車中でも様々なお話を伺い、在原町の間にも細かく気を使って頂き、本当に感謝しております。数時間前にお電話してみましたが、奥様が出られて「疲れたらしく、もう寝てしまったのですよ」との事でした。事前の準備から全てなさり、さぞかしと存じます。さて夜も更けました。まだまだお話したいこともありますが、明日は今村氏指揮のオーケストラの練習がありますので今夜はここまでに致します。初めてのメールで舌足らずとなりましたが感謝と喜びの気持ちをお伝えしたく存じました。
川口彩子」
コンサートおめでとうございます。
音楽は言葉より多くのことを直接心に伝える、と何かで読みました。聴いた方々の上に注いだ音色…。想像するだけで、おすそ分けを頂いた気分です。川口先生のコメントを読み、またまた更に心に染みました。
思えば震災以来、美術館や博物館、音楽会などこの世界の美しいものに目が行かなかったような気がします。今度心を洗いに行こうかな…と思います。
図書館の場が持つ知のオーラと本の数々が市民の方々を元気にして下さいますように…。
追記:先生の提議、講義に頭と心をしっかりさせると共に、澤井さんの先生への師愛コメントで微笑みを頂いています。澤井さんにはこれからも会員番号1番としてコメントして頂きたいです。先生の知人やご友人の方々のコメントからも学ぶこと沢山です。どちらも楽しみにしています。
台風一過、秋晴れとはいきませんが、皆さまご無事でしたでしょうか。私どもの住んでいるところは、幸いなんともありませんでした。
ところで澤井さんのコメントで再三登場願っている94歳の超元気な健次郎叔父の写真が右上から行けますホームページの「家族アルバム」最初のページ一段目中央にありますので、ご紹介します。予科練のころの写真でしょうか、後に作家となる同じ歳のいとこ島尾敏雄と一緒の写真です。同じページ四段目の左から2番目の写真にもあります。後列向かって右から島尾敏雄、私の父稔、誠一郎叔父、そして健次郎叔父です。ついでに前列右端がばっぱさん、その膝に乗っているのが私でございます。(写真はクリックしていただければ、少し大きくなります)
突然の書き込みをお許しください。
「モノディアロゴス」の右側画面に掲載されている関連書籍にある
ウナムーノ著作集 2「ドン・キホーテとサンチョの生涯」
法政大学出版局、を皆様に是非お勧めしたいと思います。
すごい本です。なにがすごいってお読みいただければお分かり
いただけると思ってお勧めさせていただきました。
この本を読むそのひとだけに語られたかと錯覚するほどの
人間哲学を深く、深く愛情をもって語られた芸術ともいうべき本です。
読んでいるうちに喜びと勇気が沸いてきて胸があったかくなり
それがいつのまにか目頭まで伝わるといった本です。
この本に巡りあえ「長生きしてよかったゾー!」と思える本です。
皆様のご健勝をお祈りしつつ失礼申し上げます。
私も頑張ります!!