何とも忙しない


われわれ一人ひとりがより安らかに、そしてこの世を生き抜いたことにより満足して死ねないような進歩なんて、いったい何の意味があるのか。

(ウナムーノ『人生は夢』より)

  なぜ久し振りにウナムーノを読んで難しいと感じたのか。たぶんそれは、このところ私自身の思考回路がすべてこの世的な境界から一歩も踏み出せないまま、低空飛行を続けていたからではないか。「この世的」と言ったからといって、何も対比的に「あの世」のことを考えているわけではない。この場合の「この世」とは、経済の仕組みから政治の仕組みに至るまで、ともかく「近代」がもたらしたあらゆる世界観・価値観のことである。
 私から見れば、ウナムーノは従来のキリスト教的世界から逸脱して、というより越え出てはいるが、しかしスペインという超キリスト教的思想風土に生きた思想家として、当然ながら生涯キリスト教的な残滓から自由にはなれなかった。それでも彼の思想は、いまなお私たちの世界を強く呪縛している「この世」をあらゆる局面で超絶していた。そんな視点から、いま一度、彼の『生の悲劇的感情』やら『キリスト教の苦悶』を読み直す必要があるといま改めて思っている。
 つまり、このところずっと低空飛行を続けていたと感じたのは、今回の大震災や原発事故を考えるときに、確かにその真の意味をおぼろげながら探り当ててはいるが、しかしそれを取り出すときの視点や解釈が、批判対象自体の論理や言葉からいまひとつ抜け出せないままであった、ということである。
 ウナムーノの「孤独」を読んでそうした茫漠とした自省の海に投げ出されたあと、今度は埴谷雄高と丸山真男の長い対談(『幻視者宣言』)を読んだ。そして痛切に感じたのは、もしも埴谷さんが生きていたなら、昨今の事態をどう考えたろう、ということである。そして警戒区のあの裏山にある埴谷家代々の墓のことを考えた。少し奥まったところにあるから津波は免れたにしても、周囲はいま無人のまま荒れ果ててしまっているだろう。警戒区域指定が解けたなら、真っ先に行って見なければならない場所のひとつである。
 ところで話は変わるが、昨日、郵便受けに「広報 みなみそうま」や「市議会だより」などが入っていた。「広報」などは20ページと、以前の厚さに戻ったようだ。まだ帰ってこない市民たちが多数いる中、少しずつ町の機能が恢復しつつあるのだろうか。ただ偽らざるところを言わせてもらえば、戻っても戻ってこなくてもどちらでもいい、という気持ちになっている。投げやりと言われても抗弁する気も起こらない。困ったものである。
 「市議会だより」を見ると、なおさらその感を強くする。今になって、議員たちがやけに張り切っている。なかには「避難準備区域で政府に背き子供を住まわせた。放射線は細胞を殺し、寿命を縮める。年に1ミリ・シーベルトを越えるのは、憲法違反、避難の権利がある。国に避難手当てを求めないのか?」となどという議員の質問が記録されている。それに対して市長は「求めない」と短く答えている。別に市長の肩を持つ気はないが、答えようがないだろう。だいいち「政府に背き子供を住まわせた」というが、では警官などを動員して子供のいる家庭を強制的に圏外に追い出すべきだった、などと本気で言っているのだろうか。「やけに張り切っている」とは、こうした類の発言傾向のことを言ったのである。
 市議会もそうだが、最近の国会などもこの手の政府批判がエスカレートとしているようだ。政府擁護などという気はそれこそこれっぽちもないが、これまで自分がやってきたことを棚に上げて、正義の使者然として言いたい放題のさまをみると、白けるどころか逆に怒りさえ覚える。
 いまや日本全国いたるところから「復興」の大合唱が聞こえてくる。でもなにを復興しようとしているのか、などと言おうものなら、なにを今さら、ともかく「スピード感」が感じられるような、即急の復興をと怒鳴り返されるであろう。「スピード感」、なるほど言い得て妙ですな。スピード、スマート、あとはサクセスのスリー・エスですか、ともかく近代的価値観がもたらしたなんとも忙(せわ)しない掛け声です。
 話はまた変わります。先日、アップル社のアイフォンだかスマートフォンだかの新機種が発売されたとき、真っ先に手に入れようと前夜(?)からの長蛇の列が出来たそうな。好きですなー。でもそんなに便利になってどうする? これは一種のビョーキでねえかい? 慌しく便利に生き急いで、どこに行く? そんなことを言いながら、私自身今もインターネットの恩恵を享受しているのだから大きな顔はできない。でも限度っていうものがどこかにありそうだ。人間の体力、知力がむかしとほとんど変わらない、というよりたとえば五官など、ある意味でむしろ退化しているというのに、道具だけがやたら進化してしまい、素人にはいたるところブラックボックスだらけ。
 そんなことはこの間の大震災でいやというほど分かったはずなのに、性懲りもなくまたもや便利さや最新鋭機種を忙しなく求めている。いや何もアーミッシュ的な手動式で原始的な世界に戻ろうなんて言ってるわけではない。しかしどこかに限度があるはず。
 今日も話はしっちゃかめっちゃか。はてなにを言いたかったのだろう?

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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