筋力アップ

昨日あたりからようやく本を読む気になってきた。それとともに、なぜか原発事故やそれにまつわる全てのことが遠い昔のことのように、あるいははるか遠くで起こっていることのように思えてきた。もちろん、テレビから時おり「トウキョウデンリョクフクシマゲンパツイチゴウキ」などという言葉が聞こえてくると、おもわず席を立ってテレビに近づいてはみるが、続けて見る気にはどうしてもなれない。
 ジョセンとかナイブヒバクなどという単語も聞き飽きた。というか、もういいよ、勝手にしてくれ、などと思うようになってきた。昨日もある人から、別のある人が「最近の佐々木さんのブログを読むと、やはり少しずつ『原発禍を生きる』ことの疲労と焦慮が増してきているように思われ、気にかかります」と書いてきました、とメールを寄こした。自分では気づかないが、そうなのかも知れないな、とは思う。
 でもそのことと、ようやく本を読む気になってきたこととどう関係しているのだろう。この半年ばかり、たぶんたえず緊張していたというか、つまり非日常の時間が流れていて、それがようやく弛緩してきて、今まさにその分岐点に立っているのだろうか。つまり成層圏からようやく対流圏に戻ってきて、その変化にまだ戸惑っているのだろうか。
 寝室の鴨居の上にしつらえた棚から落下したまま放置してあったビデオ・カセットも、ようやく棚に戻した。本棚に逆さに並べられていた本も、気がついたら直すようにしている。しかし一気にやる元気はなく、ゆっくりゆっくり、少しずつ少しずつ、片付けていくしかないようだ。
 いや、正直なところ、いまいちばん手こずっているのは美子の世話である。たとえばトイレに連れて行くとき、両手を引っ張ってやらなければ自分では歩こうとしない。それも途中で急に梃子でも動かなくなるときがある。そんなとき、せかしたり怒ったりするとますます動かなくなる。腕と腰にやたら負担がかかるようになってきた。介護はテクニックもあるだろうが、しかし最終的には体力勝負である。そしてうまくいかなかったときでも、悔しい気持ちを引き摺らないこと。そうしなければどんどん惨めな気分になっていく。
 便意をまったく告げなくなったのはいつごろからだろう。2年前? もっと前からのような気がする。ただ幸いなことに、私より四つ若いので、まだ間隔が長くて助かってる。でもあんまり早く寝せると、夜中に目覚ましをセットしなければならないので、このごろはたいてい十一時ちょっと過ぎに寝かせて、朝は六時に連れて行けばいい。私自身はたいてい一時にベッドに入るが、朝方美子の両手を引っ張って(つまり私は後ろ向きで)トイレに連れて行き便座に坐らせるころには、こちらの方が危なくなって、急いで下のトイレまで降りていかなければならない。
 おや今夜はなんでこんな話になったのだろうか。何人かの人たちからは、このブログから元気をもらっている、と言われているのに、こんな話をしたりすると、がっかりされるだろうと思う。しかし、本音を言えば、そんな格好をつけている余裕など…

「おやおや今晩は何たる醜態をさらしてけつかるんでしょう」
「そう言うなよ。先日も言ったように、なりふりかまわず生きてるんだから大目に見てやれよ。さっきようやく寝かしつけたけど、片手で体を支えてやりながらやっと歯を磨いてやり、次いで便座に坐らせたけど、何も出さず、でも朝までもたないだろうと、パジャマに着替えさせてからまた坐らせたけど、今度も駄目だったんだから」
「でもこんな生活いつまで続けられるのかなあ」
「いやぜったいギブアップしないと思うよ。今晩も百円ショップで買ってきた太いゴム紐をエキスパンダー代わりに、筋力アップを目指してたようだよ」
「それはともかく、再び本を読む気になってきたなんて言ってたけど、久し振りにウナムーノのたかだか23ページしかないエッセイ『孤独』を一昨日から読み始めて、先ほどやっと読み終えたようだよ。」
「一昔前までウナムーノのエッセイなどそんなに手こずらなかったのに、やっぱり老化がかなり進んだんだろうね」

 そう、自分でもびっくりしている。ウナムーノがこんなにも難しいなんて初めて感じたのである。この半年のすったもんだの後遺症か、それとも老化の当然の結果なんだろうか。自分としては、前者であって欲しいと思う。ともかく、明日から、衰えた肉体と精神の筋力アップを心がけよう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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