数日前から県議選の街宣車が音量を目一杯に上げて街中を走りまわっている。郵便受けには候補者のチラシも入るようになってきた。そういえば投票用紙も送られてきたようだ。「ようだ」と言ったのは、今回の選挙にはまったくと言っていいほど関心がないからで、投票所に行くか行かないか、まだ最終的には決めていない。おそらく九割方棄権に傾いている。昨年までは選挙のたびに美子の手を引いて律儀に投票所に行ったが、今回はなぜかその気がまったく出てこない。
なぜか、自分でもこれといった理由はないのだが、ただ引き金となったのはどの党の候補者も原発被害からの復興を大声で叫んではいるが、肝心の原発そのものについては、少なくとも私が目にした限りではまったく態度を明らかにしていないからだ。原発立地町村を抱えていない他県ではどうか知らないが、フクシマ県ではこれだけの被害を受けながら選挙で原発反対の旗印を鮮明にできない雰囲気がまだ残っているのであろうか。
というのは、私の知る限り、最近立て続けに行なわれた原発立地町村の首長選挙では、これまで原発を推進してきた町長たちがそろって堂々と当選しているらしい。「らしい」と言ったのは、腹立たしさも手伝って確かめる気にもならないからだ。避難生活真っ只中の住民自身が出した、今回の事故についての最終的な見解がこうまで露骨に示されると、あゝそうかい勝手にしろ、と言いたくもなる。避難所めぐりの生活の中で、まるで雛鳥をかばうようにしてきた親鳥への忠誠心からか、はたまた紅海を渡る族長に対するような盲目的信頼からか、将来の不安に怯えながらも結局は頼りきっているのであろうか。だとすると、怒りを通り越して、なんとも情けないという憐憫の情しか湧いてこない。
それともこんな状況下では、反原発は今さら唱えるまでもない万人承知の前提条件と思っているのであろうか。万が一そうだとしても、おのれの政治哲学の根幹に関わることゆえ、それについて一言も触れないというのはやはり解せない。福島県が誇るべき風光明媚な海岸線にあれよあれよと言う間に原発銀座が出来上がったのも、そうした態度不鮮明な政治的態度からのことではなかったのか。
ついでに言えば、もう捨ててしまったから確かめようもないが、数日前に市民に配られた復興ビジョン云々のパンフレットにも、「原子力に頼らない」未来像とかなんとか、まっこと弱々しいスローガンしかないのはなぜか。「今はそんな青臭い主張はともかくとして、君、当面大事なことは先ず町の復興だよ」なんて言うヤツの後など絶対ついて行く気にならない。そんな了見なら復興などしなくてもいい、とさえ思っている。
話はまたがらっと変わるが、先ほど見たテレビには、チェルノブイリから来た女性医師に、フクシマの若い母親が毎日不安で仕方ありません、どうしたらいいのでしょう、と泣きついている画面が映っていた。それに対して女性医師は、アリソン教授と同じような、実に当たり前の答えをしていた。つまり放射能よりもっと恐ろしいのは、お母さんたちがそのように精神的なストレスを持っていることですよ、と。
県の職員や学校の教師たちがどんなに説得しても、聞く耳を持たないこれら母親たち。可哀相って言えば可哀相だが、しかしこうまで物分りが悪いと、もう勝手にしろ、と言いたくもなる。きちんと検査を受けて安全確認がなされた農作物も学校給食として受け付けない人たちは、川俣産の花火使うなと異議申し立てをしたどこかの県の善良な市民と同じような……おっと、こんなことを考えていたら、ますます腹が立ってくる。もうやめよう。
要は、生きるということそれ自体が自己判断と自己決断、そして究極的には自己責任のもとの営為であることをこれまでどこかで覚悟してこなかったツケが回ってきたということだ。俗なコトバで言えばどこかで「腹を括る」必要性。あるお母さんは自分の家を毎日線量計で計っているという。こりゃ地獄です。そんなことしないで、お父ちゃんと力を合わせて、放射線や貧乏や病気や、ともかく世間全体、世界全体を敵にまわしてでも、我が家ではみんな心を一つにして、元気に楽しく生活すること。そうローラ・インガルス・ワイルダーの大草原の小さな家の心意気で(と言って、本もテレビもあまり見てなかったけれど)。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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Sさん、今朝もご苦労様。いつも楽しく読ませてもらっています。ところで朝日の記事のことですが、社説・余滴というコラムです。浜田陽太郎さんが「<正しく怒る>ことの大切さ」という題で書いておられます。■がいずれ「週刊読書人」の南雲智さんの書評と一緒に、ブログに載せてくれると思いますが、お手元に朝新があればどうぞお読みください。