今朝の関口宏のトーク番組を見るとはなしに見ていると、どこかの主婦が話をしている。安全を確かめるために食品の検査を依頼しに来た人らしいが、何も心配ありませんとの結果が告げられても「安全だと言われてもねー、やはり不安ですよ」などとしゃべっている。
画面は急に足尾鉱山と田中正造の映像に切り替わる。およそ百年前にも食の安全をめぐって同じような問題が起こっていた、とのナレーションが入る。そして今回の原発事故後の政府の対応がいかに当時と似ているかを解説していく。国策としてやってきたことについて行政が無責任であり、国民の不安を一向に解消してくれないというわけだ。そうだ、その通りだ、異論なし!
しかし構図は同じであっても、鉱毒と放射線と同列に並べるのはおかしいし、とりわけ百年前の鉱毒についての知見は現在とは比較にならないほどお粗末なものであっただろうし、現在とて放射能の真実は専門家にもよくは知られていないにしても、庶民レベルでは子供たちでさえシーベルトとかナイブヒバクとかを口にし、むしろ生半可な知識が溢れかえっていて、両者を安易に比較することは話をかえって混乱させる。
パネラーの誰かがその点を指摘するかな、と思っていたが、誰もそんな話をしないうちに番組は終わったようだ。いやあまりにバカらしくて最後まで見なかったので、後でどういう話になったかは知らない。
話は変わるが、先日、市役所で働いている人と話をする機会があったが、予想していた通り、市民との応対は大変なことになっているらしい。つまり自主避難して他県に行った人が、今回の東電の補償申請書を書く段になって、自分がどこの温泉に何月何日から何月何日まで避難していたか教えてくれ、と言われ、いやそれはご自分で思い出して書いていただかないと、と答えると、途端に激昂し、行政がそんなことを知らないでどうする、と怒鳴られたりするそうだ。
一方は科学的な論拠を示されてもさらなる明証性を求める底なしの不信であり、他方は全てを他人任せ行政任せにする底なしの依存体質であるという点では違うようだが、しかし根っこは同じであろう。つまり、自分で判断することをあくまで避けまくるという一点で。
おそらく今、日本中で、とりわけ被災地で、この底なしの不安と不信のスパイラルが行政と市民の間ならまだしも、親と子、夫と妻のあいだで無限回転を続けている。そこに先ほどのテレビ放送のような安易な類比、特にチェルノブイリとの安易な同一視が加わって、さらにはずみをつけている。
先日、十和田の市役所で臨時に雇われている息子のところに、一家が年内に帰郷するということをどこで聞きつけたのか、一人の避難者が訪ねてきて、危険だから帰らない方がいいよ、と熱心に忠告していったらしい。その人にとって、帰郷することはすなわちナイブヒバクすることであり、その害は子孫にまで及ぶものと怖れているらしい。
だれか冷静な観察者が、今回の事故後、どのような情報がどの程度国民の間に広がり、それがどのような心理的な影響を及ぼして行ったかをそろそろ分析する時期になったのではないか。もちろん現段階でも予想できるのは、生半可で聞きかじりの情報が、テレビやラジオだけでなく、ほとんど誰もが持っているケータイその他の情報機器によって大量に、しかも途切れることもなく流されたことによって、精神的なダメージやストレスを雪だるま式に生んでいったことである。放射能や原発に関する情報はもうあり余っている。事故後の実態を、とりわけ報道機関などによる意識的デマゴーグのみならず無意識のそれの正体をも突き止め分析しなければならない時期になっているのではないか。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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