今年最後のご挨拶

実は昨夜が、息子夫婦、とりわけ頴美が連日の掃除片付けの末に整えてくれた下の部屋で迎えた最初の夜でした。四年ほど前、微妙に床が沈むので丈夫なフローリングに張り替えておいて正解でした。大工さんが帰ったあとの工事中のがらんとした部屋で、美子が嬉しそうに椅子に坐っている写真が残っていますが、あのころはまだ普通にしゃべれたのに、と悔しい思いがこみ上げてきます。
 部屋が変わったことにも気づかない風ですが、しかし愛たちとの同居が始まってから、気のせいか表情が生き生きしてきたように見えます。そしてときおり断片的ですが、しっかり意味のある言葉をつぶやくこともあって家人を喜ばせています。
 今日の午後は量販店に行って、カーテンやリール、襖や障子が滑りやすくなるもの(テフロンシートのテープ)などを買ってきました。カーテンは十二畳ほどになる部屋を灯油ストーブで暖めるのは少し無理があり、三分の二ほどのところに白いカーテンを引いて暖房効果を上げるためであり、テープは人が住まなくなってから久しいので、引き戸のすべりが悪くなっていたからです。
 町の中は、こんな年ながらやはり大晦日、買い物客の車でごった返していました。帰ってきてから、カーテンを取り付け、襖と障子の滑りを良くする作業を無事終えましたが、久し振りの労働で、少し疲れました。夫婦二人だったら、すべて略式の大晦日だったはずですが、頴美は夕飯のあと、年越しソバも作るそうです。それで美子はそのまま、九時まで愛たちと紅白を見るとになり、私はパソコンのある二階に来て、こうして今年最後のメッセージを書いているところです。このあと私も皆のいる居間に戻り、年越しソバを食べる予定です。寝る前には風呂を用意しているから入ってください、と頴美が言ってくれてます。
 美子は先日、入浴ケア・サービスを受けましたが、私は実はもう…月も風呂に入っていません。いえ自分で言うのもなんですが、そんなに汚れてませんから、引かないでくださいな。ともかく有難いです、今年の垢を落として年が越せます。でもそんな当たり前のことが出来ずに年を越す人も、たくさんいるに違いありません。どうかその人たちにも、当たり前の生活が、当たり前の幸福が一日も早く戻ってきますように。
 最後に、今年一年、とりわけ3.11以降、このブログの周りに集ってくださった皆様、いろいろお世話になりました。皆さまの心からなる温かなご声援にどれだけ励ましと勇気をいただいたことか、ここに改めて心から感謝申し上げます。どうぞ来年が、皆さま一人ひとりの上に幸せと健康と、そして喜びが満ち溢れる一年となりますように!

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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