新しい「あとがき」

阿部修義様がコメントでいみじくも言い当てられた通り、父は性懲りなく人を信じ、人を愛して生きてきた。いつも人の言葉や態度というものをそのものとして信じ受け止め、二心なくそれに応える篤実さをもって生きてきた。父を誇りに思う。

実はここに某氏の「解説」がくるはずだった。事実、すでに「本」にした数十冊には、その解説文が収録されていた。しかし先日、その某氏から、私が書いた「あとがき」(これはすでに抹消済み)での彼の紹介の仕方が、氏を軽くあしらった不愉快な文章であり、削除願いたいとの手紙が届いた。「晴天の霹靂」、「寝耳の水」とはこのことか、とびっくり仰天した。氏に対する友人としての敬愛の念、感謝の念はこの半世紀、一瞬も曇ることなく続いていたからだ*。「解説」も、面倒な仕事を頼むのはまことに申し訳ないが、できれば書いていただきたい、との気持ちでお願いしたのである。抹消はしたが、前述したように何十冊かの「本」には収録されたままなので、試しに読んでもらいたい。

*氏から父がいただいた手紙類は、父は捨てることなく残していた。それを息子が読むことはないが(そんなものまっぴらごめんだ)、ただ父のために保存しておく(2021年5月19日、息子追記)

 しかしたとえ十人の人がそれを読んで私の言ったようにしか読めないと言ったとしても、書かれた本人がそう取ったと言うかぎり、彼の解釈を否定することはできないであろう。ただ氏はそのとき、実は私に対するいわばしこりが生じたそもそものきっかけが、最近彼に言った私の一言だと言う。つまり私は彼と初めて手紙を交わした何十年も前から、彼の手紙もはがきもほとんど全部を保存してきた。そのような相手は、彼以外に数人しかいない。つまり私にはそれだけの価値がある大切な手紙だったわけだ。で、あるとき、まったく「軽い」気持ちから、万が一彼も私の手紙を保存していたとしたら、半世紀にも及ぶ二人の成長記録が分かって面白いだろうな、という意味でそう聞いたまでなのだ。ところが彼はそうは取らなかったらしい。つまり自分はこうして相手の手紙を大事に保管しているのに、君は捨ててしまったのか、と非難しているという風に…止めた、馬鹿らしい。これではまるで一度は愛し合った男女の愛のもつれの顛末のようなものではないか。
 ただ皮肉なことに、先の手紙の件もそうだが、彼の手紙から『八笑人』や辰野隆の著作などに興味を持ったということに関して、『八笑人』のことなど薦めた記憶などまったくないし、自分は辰野隆よりむしろ渡辺一夫に傾倒したのだ、と書いてきたことにある種の「救い」を見たといったら彼に失礼だろうか。その二つのことは、彼を尊敬していた私にとっては鮮明な記憶として残っており、それは保管されている彼の手紙からもすぐに立証できることである。つまり「失礼」と言ったわけは、今回の彼の言動は、もしかして一時的な「感情」、もっと失礼になるかも知れないが「ご乱心」(年老いた私にも時折見舞う一時的感情の乱れ)であって、これまでの彼の言葉・行動はけっして取り繕ったものではなく真摯なものだと考えられるからだ。
 しかし事実は、電話先の彼は、この手紙で言っていることこそが彼の「本音」であり、これまでたとえば「解説」で書いたことなどは、いわば仲間褒めであって、相手を悪く言えない自分の性向のしからしむるところだと言ったのだ。
 しかしこうまで言われると、たとえ現在の彼が一時的な感情のままに言っていることだとしても、それを無視したり聞かなかった振りをすることは許されないであろう。電話先の彼にも言ったことだが、残り少ない人生、悔いが残らないように以後は「本音」で生きましょう。すでに人手に渡ったものの回収は無理だが、これから先出すすべての「本」から貴君の「解説」類はすべて削除させていただくし、貴兄からの手紙類もすべて処分させていただく。
 ともかく、これから先、あれは本心からのものではなかった、などと後悔するようなものは書かないようにしよう。これから先一切の交流は断ち切れることになるが、どうぞお互い健康に注意して元気に生きていきましょう。
 かくして彼との約半世紀にも及ぶ「友情」はもろくも消え去った。はかないっすなー人の情、人の信頼。
 以上、まことに変な「あとがき」に相成りまして申し訳ございません。でもこれから先も、性懲りなく人を信じて、人を愛して、元気に生きていきます。どうぞよろしく。


阿部修義 のコメント:
2012年1月23日 13:31
 「峠を越えて」のあとがきを改めて読みましたが、全く違和感なくありのままに感想を書かれていると思います。半世紀に亘るお付き合いでなければ書けない内容ですし、結婚式の祝電に故遠藤周作氏からのものを「強く印象に残っています。」と述懐されています。先生が「性懲りなく人を信じ、人を愛して、元気に生きていきます。」と結ばれていますが、人生の中の様々な矛盾を越え、人生の真実に真摯に向き合い、広く温かな心で包み込もうとする姿勢に生きる勇気をもらいました。

返信
fuji-teivo のコメント:
2012年1月23日 13:54
正直言って、なかなか元気が出なく、ただただ悲しい思いに沈んでいましたが、阿部さんからの励ましに、元気と勇気をもらいました。深謝します、ありがとうございます。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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新しい「あとがき」 への6件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     「峠を越えて」のあとがきを改めて読みましたが、全く違和感なくありのままに感想を書かれていると思います。半世紀に亘るお付き合いでなければ書けない内容ですし、結婚式の祝電に故遠藤周作氏からのものを「強く印象に残っています。」と述懐されています。先生が「性懲りなく人を信じ、人を愛して、元気に生きていきます。」と結ばれていますが、人生の中の様々な矛盾を越え、人生の真実に真摯に向き合い、広く温かな心で包み込もうとする姿勢に生きる勇気をもらいました。

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    正直言って、なかなか元気が出なく、ただただ悲しい思いに沈んでいましたが、阿部さんからの励ましに、元気と勇気をもらいました。深謝します、ありがとうございます。

  3. 山本三朗 のコメント:

    今朝は東京も雪景色となりました。ちょっとした雪ですが滑っている人、スリップしている車にでくわしました。皆様の無事故を祈っています。
    私の勤務先では朝礼において3分間スピーチというものをやっています。昨日は私の担当で100名超の前で先生のことを紹介させて頂きました。「心の重心を低くして〜自分の目で見、自分の頭で考え、自分の心で感じる」という趣旨に多くの方より、賛同を得ました。

  4. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    エトワール様
    山本三朗様
     お二人からの書き込み、私としては何とも面映いことですが、しかし今の私には、またとない力づけになります。ありがとうございました。

  5. 宮城奈々絵 のコメント:

    今年は26年ぶりの大寒波だそうです。毎日寒い日が続いています。先生、皆様、是非是非暖かくしてお過ごし下さい。
    久しぶりにコメントを書きますので、何やら緊張もしています。まだ書きたいことがまとまっていませんが、一番の兄弟子様から直々の指名となれば、頑張らねばなりません!

    新年を迎えて、私は驚き大きな声で「えー!嘘でしょう…!」と叫んでました。字も滲んで見えます。ばっぱ様のご逝去…。でもコメントを書けませんでした。言葉が浮かびませんでした。一度もお会いしたことがないのに、親戚でもないのに、先生が哀しみを抑えて静かに送り出していらっしゃるのに、ショックを受けてる自分がおこがましく、図々しい気がしました…。あれこれ考え、しばらく、ご講義から離れてました。時間をおき、ゆっくりと、今は自分の気持ちが分かってきています。
    お会いしたことはなかったけど、私はばっぱ様のことが大好きになってたんだ…と。
    先生、このような書きこみ、しかも時間をおき今さら本当に図々しくてすみません。
    告白しますと、私は祖父母と縁が薄く、思い出となるエピソードが余りにも少なく、私のことを愛してくれていたかも分からず、しかも今現在存命の祖母は好きになれず(母への嫁いびりが酷い、孫への対応格差が激しい…)、ですから、愛ちゃんに愛情を注ぐお姿や、紹介されるお話に見る、強くて深くて逞しいばっぱ様に、勝手に自分の理想の祖母像を重ねて見てしまっていたのです。
    今さらですが、本当に自分勝手さに恥ずかしく、コメントを書くのも、何かダメな自分が透けて見えるのでは…という危惧、資格がないような気分、でついつい避けてしまっていました。
    もう一つ二つの理由は個人的なことなのですが、私にもどんでん返しが起きて「信じていたことが色々ひっくり返る」現象が起きています。
    落ち込むことも多々でしたが、今は全てがひっくり返る時、何もかもが変わっていってしまう時なんだ、ということを受け入れ、少しずつ立ち直りつつもあります。
    変化があるなかでも、自分はどう生きるのかを見つめていかないとダメですよね。
    「今をしっかり生きる」ことがよく出来ず、フワフワしてみたり、ヤケクソ気味になったり、先生の受講生としては恥ずかしい限り、ここに登場していいのかしら…とも思います。
    まとまらない、しかも稚拙な文章の私ですが、
    経験豊かで博識なコメンテーターの方々がたくさんいらっしゃるので、少し引っ込み気味でありながらも、これからも先生のblog、講義を拝聴させて頂けたら、と思います。

  6. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    澤井兄
     またお出かけになるようですが、ともあれお帰りなさい! お留守の間、いろいろありましたが、しかしおかげさまで風邪も引かずなんとか頑張ってました。ばっぱさんの残した手書きの歌集が一時見つからず、十和田に問い合わせたりいろいろ探し回っておりましたが、今朝方、十和田に行く前までお世話になっていた施設から電話があり、ばっぱさんのノートやら本が段ボール一箱残ってました、と届けてくださいました。
     そのうち『虹の橋』補遺として何とかまとめるつもりですので、ご期待ください。ともかく寒いときですので、澤井兄も、他の皆さんも風邪など引かぬようご注意ください。

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