ケセランパサラン

今から20数年前のことになるが、静岡から八王子に越してまもなく、誘われて連句の会に入ったことがある。作家眞鍋呉夫氏が宗匠を務める「雁の会」に美子と二人で参加したのだ。もっともそれはいわば期間限定の会で、名前にも「仮の会」が掛けてあった。場所は目白の芭蕉庵。そのときのことはもう何回か書いたことがあるので、ここでは繰り返さない。ただ、その何回目かの席上、眞鍋さんが「ケセランパサラン」という不思議な言葉の話をされた。
 昨夜、不意にその言葉を思い出した。ネットで検索すると、眞鍋さんの『雪女』にその言葉が使われた句が紹介されていた。

春深くケセランパサラン増殖す

 そしてこう説明されている。

「眞鍋呉夫(1920年福岡県生)『雪女』所収の句。句の脇には〔ケセランパサランは白粉(おしろい)を食ふ虫なりといふ〕との注が添えられている。ケセランパサラン(ケサランパサランともいう)は、一説によると東北地方の方言で「何がなんだかさっぱりわからん」という意味、その正体はビワの綿毛のある種のものであるという。これにおしろいをかけると、繊毛が立ち上がって、花が咲いたようになり、次第に成長するといわれる。その真偽はともかく、掲句には奇妙なリアリティーがあり、晩春の空気の中、どこかでそれが増殖しつつあるかのように感じられる。俳句の確固とした形式に沿って、すっと言ってのけると、掲句のような奇妙な実在感が発生する。それが俳句のメカニズムというものなのであろう。」

 誰の説明文か知らないが、見事な解釈である。ところでウィキペディアには、こう書かれている。

白い毛玉のような物体で、空中をフラフラと飛んでいると言われる。一つ一つが小さな妖力を持つ妖怪とも言われ、未確認生物として扱われることもある。
 名前の由来については、スペイン語の「ケセラセラ」が語源だという説、「袈裟羅・婆裟羅」(けさら・ばさら)という梵語が語源だという説、羽毛のようにパサパサしているからという説[1]、「何がなんだかさっぱりわからん」を意味する東北地方の言葉との説[2]、などがある。
 穴の開いた桐の箱の中でおしろいを与えることで飼育でき[2]、増殖したり、持ち主に幸せを呼んだりすると言われている[1][2]。だが、穴がないと窒息して死んでしまう、おしろいは香料や着色料の含まれていないものが望ましい、1年に2回以上見るとその効果は消えてしまうなどと言われることもある[3]。ケサランパサランを持っているということはあまり人に知らせないほうがいいと言われているため、代々密かにケサランパサランを伝えている家もあるという伝説もある。
 1970年代後半に、ケサランパサランは全国的なブームとなった。この時ケサランパサランとされた物の多くは、花の冠毛からできたものであった。

『和漢三才図会』より「鮓荅」
 ケサランパサランとの関係は明らかになっていないが、江戸時代の百科事典『和漢三才図会』には 鮓荅(へいさらばさら、へいさらばさる)という玉のことが記載されている[3]。同書によれば、これは動物の肝臓や胆嚢に生じる白い玉で、鶏卵ほどの大きさのものから、栗やハシバミくらいの小さいものまであり、石や骨にも似ているがそれとは別物で、蒙古人はこれを使って雨乞いをしたとある。著者・寺島良安はこれを、オランダで痘疹や解毒剤に用いられた平佐羅婆佐留(へいさらばさる)と同じものとしている[4]。近代では、「鮓荅」は「さとう」と読み、動物の胆石や腸内の結石と解釈されている[5]。

脚注

  1. 『本当にいる日本の「未知生物」案内』、31頁。
  2. 『ケサランパサラン日記』、9-13頁。
  3. 村上健司編著 『日本妖怪大事典』 角川書店〈Kwai books〉、2005年、133頁。ISBN 978-4-04-883926-6。
  4. 寺島良安 『和漢三才図会』6、島田勇雄・竹島純夫・樋口元巳訳注、平凡社〈東洋文庫〉、1987年、155頁。ISBN 4-582-80466-7。
  5. “さとう【▼鮓答】”. goo辞書. 三省堂. 2009年9月14日閲覧。

 
 長々と引用したが、その後に正体をめぐるいくつかの仮説まで紹介されているが、実は以上いろいろ引用しながら、ちょっとやり過ぎたかな、と思っているのだ。つまり後に続けるはずの私の「仮説」の効果性というか影が相対的に(?)薄くなってしまうからだ。
 ええいっ!ここまできたら面倒だ、もう一つ、これは本当にあった話を紹介する。2008年5月22日「山形新聞」のトップ記事である。


謎の物体「ケサランパサラン」 大石田の山中、児童が発見〔白粉のパフみたいな大きな写真も掲載されている〕

 佐藤綾夏さんが発見したケサランパサラン。発見者には幸運が訪れるとの言い伝えがある
 持っていると幸運を呼ぶ生物とされる謎の物体「ケサランパサラン」を、山形市内に住む児童が大石田町の山中で発見した。児童が県立博物館(山形市)に持ち込んだところ、担当者は「確認したのはこの7年でわずか3件ほど」と説明、発見した児童の一家は、神棚に飾って大切にしたいと話している。
 「ケサランパサラン」を発見したのは山形市風間の小学6年生、佐藤綾夏さん(11)。今月18日正午ごろ、一家5人で大石田町横山の山中で山菜採りをしていた時、地面に、直径7センチほどのふわふわした綿毛のようなものを発見した。「最初はネズミかと思ったけど、全然動かないので拾ってみた」という。家族と一緒に、本物かどうか確認してもらおうと、県立博物館に持参した。
 博物館ではケサランパサランのレプリカを展示している。説明文には「2月から3月にかけて、神社や深山の木のたもとに天から舞いおりてくる。拾った人は一生幸運に恵まれると言い伝えられている。きり箱に食べ物のおしろいを入れ、1年に1度しか見てはいけない。2度見ると、幸せが逃げてしまう」。学芸員の八鍬拓司さんは「信用するかどうかは見つけた人次第」とした上で、「学芸員の立場で言うと、ケサランパサランには植物タイプと動物タイプがあり、今回のは、動物の毛。ワシやタカがウサギなどを捕まえた時に、皮ごと毛をはぎ取り、上空で放す。その皮部分が凍結乾燥して、次第に全体が丸くなるという説がある。発見しても内緒にする人が多いだろうが、担当になって7年で3件ほどしか持ち込まれていないし、とてもきれいな状態」と解説する。
 エサとして強力粉を与えていた綾夏さんは「御利益が薄れないよう、これからは年に1回しか見ないようにしたい」と話し、神棚に飾ることにしている。

 

 そんな説明やら記事を読んで床に入ったものだから、私の頭蓋の中の「妄想中枢」がいたく刺激されて、おおむねこんな風な夢物語ができあがった。すなわちこのケセランパサランこそが私の常々言ってきた「平和菌」である、と。ケサランパサランという化粧品メーカーまでできてしまったが(これ本当です、調べてみてください、モイスチャーなんとかという化粧品まで売り出されてます)やはり正確にはケ〔セ〕ランパサランで、実はこれはかつてスペイン人バテレン(神父)から伝わった言葉 Qué serán, pasarán. であり、意味は「どうなるだろう?まっ、なるようになるだろう」である。つまり事態はどう考えても終末論的・悲劇的様相を示しているが、しかし運を天に任せて(バテレンですからすべてを神に任せて、と言ったでしょうが)今できることを「しっかりまじめにやる」しかないのでは、という意味で、その時のバテレンやキリシタンたちの願いが気化し,それがやがて空中で結晶して綿毛のような形となって四方に飛んでいった、ということである。それが世に言う「ケセランパサラン」の正体。
 この事実に思い当たった(? 妄想した?)富士貞房氏が、これをリフレインにした歌詞をつくり、かの有名なピアニスト菅祥久氏が作曲し、これまた著名なビオリスト川口彩子女史とデュエットで演奏したものが先ず最初にユーチューブで評判となり、これに目をつけた大手レコード会社がCDで売り出したのが(肝心の歌手は当分覆面を通すそうです)瞬く間に日本中を駆け巡り、最近大ヒットした由紀さおりの「夜明のスキャット」に並ぶ勢いでいまや世界市場を窺っているそうだ…
 以上が、夢うつつの中での貞房氏の妄想の中身。しかし残念ながら歌詞の方はまだできていないようだ。それができないことには妄想は完結しないのに、なんともお粗末な話である。あっ言い忘れました。リフレインのケセランパサランの後にコモパサランが付け加わったそうである。コモは英語の as と同じ意味で、「事はなるようになる」の意味をさらに強調すると同時に、語呂がよくなるそうだ。どうぞ皆さんも試しに言ってみてくださいな、ケセランパサラン、コモパサラン、ねっ、いいっしょっ?

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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ケセランパサラン への3件のフィードバック

  1. かとうのりこ のコメント:

    ケセランパサランといえば、
    四半世紀ぐらい前の人気バンド「レベッカ」に
    「結接蘭 破接蘭」という曲があったことを思い出します。
    「♪小さなころママが教えた言葉 口にすればいいことがあるよって」
    という歌詞でした。
    全体には恋の破局を思わせる内容の歌でしたが。
    動画検索でひさびさに聴いて、とてもなつかしかったです。

    富士貞房版「ケセランパサラン」はどんなメロディーになるかたのしみです。
    まじめにやってさえいれば、あとはケセランパサランなるようになるさ、
    いまの私たちにはそういうおまじないのようなものがたしかに必要です。

  2. 山本三朗 のコメント:

    何か心が温まります。今から30年ちょっと前、私が千葉の高校生だった頃、「ケセランパサラン!幸せになれるんだって!」と言われ、彼女から貰いました。独特な響きに愛着を感じたのを今でも鮮明に覚えています。今でも実家の本棚に飾って(置いて)あります。
    風邪、インフルエンザ等にお気をつけください。

  3. 阿部修義 のコメント:

    「神に任せて、今できることを『しっかりまじめにやる』」私はこれを読んでいて、ヒルティの『幸福論』に書いてあった文章を思い出しました。正直言って、先生のように神学を学んでいませんので私には理解できない領域です。「わたしは、来世における生命の継続を確信しているが、それがどんな形のものかはわからない。しかし、それは多分、現世の生活における最も清純な瞬間に似たものだということ、そして、まったく違った精神状態にいきなり飛躍するのでなく、どこまでも一つの継続であるということだけは確かであろう。そこでは各人が、すでに現世で円熟したものだけを受け取ることができるのである」。21世紀は脳科学が発展し、心と体の因果関係が解明されていくようにおもいます。「しっかりまじめに」やったことが、ヒルティの言うように来世が、もしあるのなら、受け取れるのかもしれません。全く根拠はありませんが、私は肉体はなくなっても『魂』は残り、来世があると信じている人間です。

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