平和菌の歌
作詞 富士貞房
作曲 菅 祥久(予定)
1
生まれは いずこか知らないけれど
その働きは いつかは分かる
柳眉逆立つ不美人さえも
これをはたけば ついに楊貴妃
ケサランパサラン、コモパサラン
2
そのわけ 何にも分からんけれど
誰にも効き目は じわりと分かる
争い、もめごと、戦争さえも
これを被れば くだらん冗談
ケセランパサラン、コモパサラン
3
見た目は カビと変わらんけれど
漂う芳香 いつかは気づく
虚勢や威嚇は ただそれ嗅ぐだけで
馬鹿丸出しの 猿芝居
ケセランパサラン、コモパサラン
4
原爆・原発 被った今も
懲りずに推進求めるアホは
ほんわか菌を浴びるがよろし
まことの幸せ 見えてくる
ケセランパサラン、コモパサラン
5
飛ばそ撒きましょ 平和の菌を
みごと咲かせよ 心の園に
あなたと私の垣根を越えて
国境線さえ消してゆく
ケセランパサラン、コモパサラン
佐々木 孝 について
佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
珍しく川口の娘から「特に4番と5番が好きです」というメールがあったきり、なぜかまったく無視されていることに正直ガックリきています。が、めげずに頑張ります。それより澤井兄が香港風邪にやられて元気がないのがなにより気がかりです。皆さん、どうぞ励ましてやってください。
先生の創造力に感服しております。「ほんわか菌」も良いですね。それ以上に「平和菌」とケサランパサランを結びつけたことに感動しております。何か2つのイメージが結びつき、しっくりきます。先生の古い投稿を開いておりません(もっと勉強します)がこの「平和菌」を少しずつでも撒いて行ける人生でありたいなと思っています。
この前の先生の投稿「思いつくままに」に「愛さんがバレー教室に通い云々」とありました。我が娘(先月、成人式を迎えました)もバレエ教室に通ったことがきっかけでこの春からフリーのダンサー(ヒップホップ系)となります。娘の生き方から自主性と継続性が大事だなと思っています。
澤井さんの早期回復とコメントを心よりお待ちしています。
帰宅後早々にPCに向かっているので支離滅裂で申し訳ございません。
山本三朗様
さっそくのお褒めのお言葉ありがとうございます。こちらから強要したようで面目ありませんが、でも皆様からの励ましが貞房にとってなによりの栄養剤です。
お嬢さんがヒップホップ系のダンサーになられたとか、いつか拝見できるような機会があれば嬉しいですね。どうぞ頑張ってください、とお伝えください。
それからどなたかもうお気づきかも知れませんが、「平和菌の歌」のずっと後方で「月光仮面」の旋律が流れていました。でもメロディーを考えてくださる(はずの)菅さんにいらぬ雑音になるといけませんので、それはここだけの話です。