命の洗濯

人生にはどんよりと曇った日もあれば、雨の日も、また晴れてはいるが風が強く、なにかに追われているかのように落ち着かない日もある。いやほとんどがそんな日である。ところがたまに、まさしく降って湧いたように、すべての思い煩いやら約束事から開放されたような、過ぎ行く一瞬一瞬がいとおしく、これがずっと続いてほしいと思うような日もある、ごくたまに。
 東京から菅さんと川口さんが車でやってきた日は、そんな一日いや半日となった。なにか他に用事があったわけでもなく、ただただ私たちに会いに来てくれたのである、それも日帰りの強行軍で。
 ありがたいことに、その日つまり一昨日は朝から晴れてくれた。彼らが帰った夜から雲行きが怪しくなって、翌日は東京にも積雪があったのだから、それこそ鬼の居ぬ間の洗濯日和だった。一昨年の秋に菅さんが他の友人二人と来てくれたときも頴美の水餃子でもてなしたが、今回もそれにした。菅さんがさんざその美味を川口さんに宣伝していたらしく、川口さんもかなり期待していたふうだが、それが裏切られなかったようで一安心。
 迎える側には、菅さんと同じ名前(祥久)の西内君が応援に駆けつけてくれたので、弥(いや)が上にも(と古い言葉を使うが)場が盛り上がった。ついには、名ピアニストの菅さんが愛の玩具のピアノで童謡や「鉄腕アトム」を弾くミニコンサートまであった。実は現在、彼は愛のために「可憐な花(?)」とかいう曲を作ってくれているそうで、こんなちょびくり(まだ小娘にもなっていない)にはまことにもったいない話である。
 いろんな楽しい話があったが、このブログを読んでくださっている方にも関係する、しかもちょっと残念な話もあった。というのは、「原発難民行進曲」を歌うはずのグループの一人が、「軍歌」に対する拒否反応をあらわにして、結局そのグループが降りたという話。しかしご安心めされ、その後別のもっといいグループがそれを引き受けてくれそうな雲行きだということで、ここは急がずじっくり待つことにしたい。
 それにしても「麦と兵隊」が軍歌のジャンルに入るとはいえ、戦意高揚などとは真逆の実に悲しい歌、むしろ反戦歌であることが分からない人の感性を疑ってしまう。ましてや貞房の歌詞が反戦など通り越して、人間の愚かさ悲しさ、そしてそんな人間に対する憂愁に満ちた愛(なーんて格好つけて)を歌ったものであることが分からないとは、実に嘆かわしい。
ところが後日、この話を聞いたプロデューサー役の■いわく、そんな反応が出るのは遅いくらいです、貞房さんのブログが炎上しないでここまで来たのはまさに奇跡です、ということらしい。実(げ)に世の中には、特にこんな乱世には、いろんな御仁が居るもんすなー。
 いやー最後はちょっと変な話になりましたが、でもあの日の午後が、私にとってまさに命の洗濯日和であったことには変わりがありません(アルコール抜きでもあんなに楽しくできるとは!)。皆さんにもそんな日和が恵まれますように。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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命の洗濯 への5件のフィードバック

  1. 川島幹之 のコメント:

    いいお話ですね。
    有朋自遠方来、不亦楽乎
    という論語の言葉を思い出しました。
    遠くの友のことが懐かしくなりました。

  2. 宮城奈々絵 のコメント:

    いつになったら暖かくなるのか…と思うほど、今年は関東も寒いです。寒さに強いはずの私の道産子&東北人の遺伝子はだいぶ薄れてしまったようです。
    幸いにもインフルエンザには襲われてはいない我が家ですが、世間では何時にも増して猛威をふるってますね。
    一番弟子、兄弟子様の澤井さんが無事に復帰されて、ホッとしました。「澤井節」が聞けないと寂しいです。
    最近、ネット世界での「炎上」をよく見かけます。
    意見が違う人に対する一方的な言葉の攻撃を見ると、何だかとてもゾッとします。話し合いを前提にしておらず、自分の苛々をぶつけて喜んでいるだけのようにも見えます。
    先生のblogは、そんな混乱とは無関係に、いつまでも穏やかな学びの場であり続けて欲しい…です。
    寒さ厳しい中ですが、先生、ご家族の皆様、blogの生徒の皆様の健康をお祈りしています。
    暖かい春、待ち遠しいですね!

  3. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

     以前も一度、川島さんと奈々絵さんが同時に、といってもそのときは順序が逆でしたが、書き込みされたことを思い出しました。もちろんお互い顔も知らず、住んでおられるところも別々なのに、感情の波長(?)が似ているんですね。私も、この大震災を機に、それまでまったく知らなかった人たちとの不思議な心のシンコペーション、つまり通常の脈拍とは違う、驚きとか喜びとか怒りとかの脈拍、の相似性を経験しましたし、今もしています。
     人間てだから面白いし素晴らしい!

  4. 阿部修義 のコメント:

     「貞房の歌詞」の中の「静かに笑ってる」という言葉を見つけて、宮沢賢治を思い出しました。先生の歌詞には確かに「人間の愚かさ悲しさ、そしてそんな人間に対する憂愁に満ちた愛」を感じます。ヒルティの墓碑銘に「Amor omnia vincit」と刻み込まれているそうです。「愛はすべてに打ち勝つ」。いかなる逆境にあっても愛を持ち続けられる人だから「静かに笑ってる」。そう私は思います。

  5. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    阿部修義さん
     いつも適切な、しかも私の伝えたいことのさらに先の意味を見つけてくださるコメントをありがとうございます。こににももう一つの心のシンコペーションの相似性を感じてます。

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